コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

静田二三夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
隆野唯勝から転送)
しずた ふみお
靜田 二三夫
本名 隆野 唯勝 (たかの ただかつ)
生年月日 (1918-01-05) 1918年1月5日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
職業 俳優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1933年 - 1950年
配偶者 有島鏡子(離婚)
主な作品
益満休之助 陽炎篇
聖剣 荒木又右衛門
忍術虎若丸
唐獅子城 前篇
テンプレートを表示

静田 二三夫(しずた ふみお[注釈 1]1918年1月5日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6]靜田 二三夫と表記されることもある。本名は隆野 唯勝(たかの ただかつ)[1][2][3][4][5][6]宝塚キネマ極東キネマなどの三流キネマで活躍した「若衆スター」であり、後年は本名で東宝戦争映画にも出演していた[2]

来歴・人物

[編集]

1918年(大正7年)1月5日大阪府大阪市に生まれる[1][2][3][4][5][6]

1933年(昭和8年)12月、旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)を中退し、宝塚キネマ興行へ研究生として入社[1][2][3][4][5][6]静田二三夫という芸名で、同年11月1日に公開された仁科熊彦監督映画『艶姿影法師 陽炎篇』に、作家直木三十五(1891年 - 1935年)の推薦で映画デビューを果たす[1][2][3][4][5][6]。また、同年12月31日に公開された後藤岱山監督映画『韋駄天数右衛門』では大石主税役として注目されたが、翌1934年(昭和9年)4月10日に同社は解散した[2][3][4]

その後、同年2月に宝塚キネマ興行から新たに新設された興国キネマを経て、1935年(昭和10年)2月、極東キネマ(極東映画)へ移籍[1][2][3][4][5][6]。同年3月20日に公開された仁科熊彦監督映画『益満休之助 比叡の巻』を始め多くの時代劇に出演し、新鮮さ溢れる若衆役者ぶりを発揮した[1][2][3][4][5][6]。その後、同社の俳優仲間であった有島鏡子(本名鈴木はつ子、1916年 - 1987年)と結婚し、1937年(昭和12年)11月に有島と共に一時退社[2][3][4][5]。翌1938年(昭和13年)9月、有島と共に極東キネマに復帰を果たすも後に応召され、再び退社を余儀なくされる[2][3][4][5]。1939年(昭和14年)9月、名古屋帝国館で公演された静田二三夫一党の実演で復帰し、有島、千早和子轟渡と共演する[5]。ところが、同年に有島と離婚[5]。有島は同年7月に全勝キネマへ移籍するが、静田は1940年(昭和15年)の極東映画と梅田劇場(現在のHEPTOHOシネマズ梅田)との合併により大宝映画に改称された後も引き続き移行した[5]。ところが、同社は1本も映画製作されないまま、翌1941年(昭和16年)2月に解体される[5]

1943年(昭和18年)、芸名を本名の隆野唯勝に改名して東宝に入社[2][3][4][5][6]。以降は脇役に回るが、同年4月29日に公開された山本嘉次郎監督映画『あさぎり軍歌』などの戦争映画で堅実さを見せた[2][5]。戦後も同社で活動を続け、1948年(昭和23年)まで在籍した[5]。また、1950年(昭和25年)2月26日に公開された東横映画京都撮影所製作の関川秀雄監督映画『戦慄』にもフリー出演していたが、同作以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][2][3][4][5][6]没年不詳。静田の来歴ついて記載されている資料はほとんど存在しない。また、キネマ旬報映画データベースにおいても静田の項目は確認できない。

出演作品

[編集]

宝塚キネマ興行

[編集]

全て製作・配給は「宝塚キネマ興行」、全てサイレント映画、全て「静田二三夫」名義である。

興国キネマ

[編集]

製作は「興国キネマ」、配給は「早川興行」、サイレント映画、「静田二三夫」名義である。

極東キネマ

[編集]

特筆以外、全て製作は「極東キネマ古市白鳥園撮影所」、配給は「極東キネマ」、特筆以外は全てサイレント映画、全て「静田二三夫」名義である。

東宝映画

[編集]

全て製作は「東宝映画」、配給は「映画配給社」、以降全てトーキー、以降全て「隆野唯勝」名義である。

戦後

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ しずた ふさお説もあり[1]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『日本無声映画俳優名鑑』株式会社アーバン・コネクションズ、2005年、145頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、267-268頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『映画俳優事典 戦前日本篇』未来社、1994年、173-174頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『チャンバラ王国 極東』ワイズ出版、1998年、180-181頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『映画論叢 30』国書刊行会、2012年、93-95頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i 『日本映画人改名・改称事典』国書刊行会、2004年、96-97頁。 
  7. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

[編集]
  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]