トニー・タン
トニー・タン Tony Tan Keng Yam 陳慶炎 | |
トニー・タン(2011年6月)
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任期 | 2011年9月1日 – 2017年9月1日 |
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出生 | 1940年2月7日(84歳) 海峡植民地、シンガポール |
政党 | 人民行動党→無所属 |
配偶者 | チー・ビー・キアン |
宗教 | 聖公会 |
トニー・タン・ケン・ヤム(英語: Tony Tan Keng Yam、中国語: 陳慶炎、1940年2月7日 - )は、シンガポールの政治家、銀行員、数学者。同国第7代大統領。
経歴
[編集]英華学校、セント・パトリックス・スクール、セント・ジョセフス・インスティテューション卒。シンガポール国立大学学士(物理学・首席)、マサチューセッツ工科大学修士(オペレーションズ・リサーチ)、アデレード大学博士(数学)。母校のシンガポール国立大学で教鞭をとった後、華僑銀行に勤めて総経理(総支配人)に至るが、政界を志し離職。
1979年に執政党の人民行動党所属国会議員となり、教育省政務次長(Senior Minister of State)。1980年には教育大臣として入閣。その後、通商産業大臣、財務大臣、保健大臣を歴任。
1991年に閣僚を退任し、華僑銀行に復職するが、議員ポストは維持した。
1995年に内閣に戻り、副首相と国防大臣を兼任。
2005年に閣僚を退き、翌年の国会改選にも出馬せず、以降はさまざまな機関の指導ポストに就いた。
2011年8月29日のS・R・ナザン大統領の任期満了にともなう大統領選挙に、人民行動党を形式離党して出馬。スローガンは「実績・信頼・誠実」。8月27日の投票で当選。9月1日に就任した。
2015年3月14日、建国50周年を記念し8月7日を特別休日に制定すると発表[1]。
2016年11月30日~12月4日には、日本・シンガポール外交関係樹立50周年を記念して日本を訪問した。
後任の大統領を決める選挙は2017年8月に行われる予定であったが、同月の建国記念行事が選挙運動に重なることを理由に、選挙は9月23日に延期された。9月1日をもってトニー・タンは予定どおり任期満了で大統領を退任し、J・Y・ピレーが代行を務めている[2]。
候補者 | シンボル・政党 | 投票結果 | |||
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得票数 | 得票率 | ||||
トニー・タン・ケン・ヤム | 無所属 | 745,693 | 35.20% | ||
タン・チェン・ボック | 無所属 | 738,311 | 34.85% | ||
タン・ジー・セイ | 無所属 | 530,441 | 25.04% | ||
タン・キン・リャン[5] | 無所属 | 104,095 | 4.91% | ||
有効票 | 2,118,540 | 98.24% | |||
無効票 | 37,849 | 1.76% | |||
投票数 | 2,156,389 | 100.00% | |||
有権者数 / 投票率 | 2,274,773 | 94.80% |
私生活
[編集]1964年にチー・ビー・キアンと結婚し、4人の子をもうけた。
脚注
[編集]- ^ 8月7日が休日に、建国記念の4連休実現[社会]
- ^ “大統領選挙、投票日は9月23日”. エヌ・エヌ・エー. (2017年8月29日) 2017年9月8日閲覧。
- ^ Presidential Elections Results. Singapore Elections Department. 28 August 2011.
- ^ Polling Day Voter Turnout. Singapore Elections Department. 28 August 2011.
- ^ 供託金没収。Koh, Hui Theng. “He was outflanked”. AsiaOne. Singapore Press. 28 September 2012閲覧。
公職 | ||
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先代 S・R・ナザン |
シンガポール共和国大統領 第7代:2011年 - 2017年 |
次代 ハリマ・ヤコブ |