開明中学校・高等学校
開明中学校・高等学校 | |
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北緯34度42分4.9秒 東経135度32分17.6秒 / 北緯34.701361度 東経135.538222度座標: 北緯34度42分4.9秒 東経135度32分17.6秒 / 北緯34.701361度 東経135.538222度 | |
過去の名称 |
私立大阪貿易語学校 大阪貿易語学校 大阪貿易学院中学校・高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人大阪貿易学院 |
校訓 | 研精而不倦(研精して倦まず) |
設立年月日 |
高校 1948年(昭和23年)4月1日 中学校 1990年(平成2年)10月16日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C127310000194 中学校) D127310000824 (高等学校) | (
高校コード | 27508F |
所在地 | 〒536-0006 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
開明中学校・高等学校(かいめい ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府大阪市城東区野江にある私立の中学校・高等学校(中高一貫校)。源流は1914年、商工会議所が設立した実業学校で、太平洋戦争後に商業高等学校の大阪貿易学院として発足した。1995年に学校名を改名した。設置者は学校法人大阪貿易学院。
概要
[編集]1914年(大正3年)12月、商業学校規定の乙種(入学資格12歳以上で高等小学校2年修了程度)実業学校として発足(文部省告示第131号9月16日付で9月開校を認可[1])。英語・中国語・ロシア語の教育に重点を置いていた[2]。
太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の商業高等学校「大阪貿易学院高等学校」として設置されたが、1979年(昭和54年)英語科を併設[2]。これを機に、関関同立をはじめとする私立大学の文系への合格を目指し、1980年代末頃から大学進学指導に注力し始める。
1991年(平成3年)に中学校を併設。「中学・高校の6年間で国公立大学に進学できるような学力を培う進学校になる」という目標を掲げてリスタートを切った[3]。
翌1992年、生みの親の大阪商工会議所の主管から外れたが、理事長には現在も代々、商議所の役員が就任している[2]。
貿易学院から開明へ
[編集]進学校への目標を掲げた中学校開設から4年後の1995年に改名。『開明』について「人智が開け文物が進歩すること。中国の古典では、『聡明』という意味で使われたり、太陽が昇る東の方角であると説明されたりしています」としている[3]。その後2001年に中学校が、2004年に高校も男女共学となった。
進路(大学進学)
[編集]現在、1学年8クラス規模のうち内部進学7クラス、外部から編入1クラス[2]の8クラス規模の編成。2019年〈令和元年〉度の卒業生265名(2020年3月卒業)の場合、37%の98名が現役で国公立大学に合格している[2]。
教育方針
[編集]校訓の「研精而不倦」(研精して倦まず)を、「知・徳・体すべてにわたって自己を磨き続ける」と解釈して下記の五つを教育目標に掲げている[2]。
- 男女共同参画社会において、社会のリーダーとして活躍する人間の育成
- 文系・理系を問わず、理数の素養を身につけ、 21世紀の情報化社会に対応できる人間の育成
- 世界的視野に立ち、国際感覚に富む人間の育成
- 思いやりの心を持ち、社会的常識を備えた人間の育成
- 正しい生活習慣を身に付けた、心身ともに健全な人間の育成
沿革
[編集]年表
[編集]- 1913年(大正2年) - 大阪商業会議所(現:大阪商工会議所)が貿易に携わる人材育成の実業学校[1]を設立し、経済援助を行うことを決定[2]
- 1914年 - 12月1日、「私立大阪貿易語学校」設立[2](大阪市東区北久宝寺町〈現・中央区〉[1])。初代の理事長に土居通夫(商議所の会頭)が就任[2]
- 1922年 - 大阪市北区東野田9丁目へ移転(現・都島区東野田町。文部省告示第506号7月27日付で移転を認可[4]
- 1923年 - 1月31日、「大阪貿易語学校」に改称(文部省告示第319号4月17日付で改称を認可[5])
- 1945年(昭和20年) - 大阪大空襲で校舎が焼失
- 1946年 - 理事長に、杉道助(商議所の会頭)が就任。太平洋戦争後の復興に尽力[2]
- 1948年 - 学制改革により、新制の高校「大阪貿易学院高等学校」設置(商業科を設置、現在地へ移転)
- 1964年 - 普通科を併置
- 1979年 - 英語科を併置
- 1985年 - 英語科を募集停止(普通科へ統合)
- 1986年 - 普通科をI類とII類に改組
- 1987年 - 商業科を募集停止
- 1991年(平成3年) - 「大阪貿易学院中学校」を併設
- 1992年 - 大阪商工会議所の主管が外れる[2]
- 1995年 - 校名を「開明高等学校」と「開明中学校」に改称
- 2001年 - 中学に「理数コース」設置[2]。中学の新入生から男女共学となる
- 2004年 - 高校の新入生から男女共学に
- 2006年 - 中学の第1学年に特別進学クラスとして「スーパー理数コース」を設置。中高とも完全な男女共学に
- 2014年 - 創立100周年事業として新校舎が完成。グラウンド人工芝化[2]
基礎データ
[編集]生徒数
[編集]在籍生徒数は、1,542名 (高校828名、中学714名。2020年〈令和2年〉5月1日現在[2])。
内訳は2019年度の場合(2020年3月末現在)、中学19クラス計758名(男子396名、女子362名。1年生と2年生6クラスずつ、3年生7クラス)。高校22クラス計814名(男子439名、女子375名。1年生8クラス、2年生と3年生7クラスずつ)[2]。
なお2020年度の入学試験は、志願者は中学1,330名、高校317名(専願266名、併願51名)だった[2]。
諸費用
[編集]学費など諸費用は、初年度で高校111万円[6]、中学校115万円[7]。これ以外に制服の費用など必要(2020年度の実績)。
交通アクセス
[編集]- 鉄道
- JR西日本・京阪・Osaka Metro(地下鉄)(各線)京橋駅より北東へ約700m(徒歩で約9分)
- 京阪(京阪本線)野江駅より南西へ約1km(徒歩で約13分)
- Osaka Metro(谷町線)野江内代駅より南へ約1.2km(徒歩で約15分)
- Osaka Metro(長堀鶴見緑地線・今里筋線)蒲生四丁目駅より西へ約900m(徒歩で約11分)
象徴
[編集]創立100周年記念事業として新しい校舎が完成し、食堂が新設された。
- 校歌
- 制服
制服は、男子が創立時からの金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)。女子は紺色を基調としたボレロスタイルで、桂由美によるデザイン[8]。
諸活動
[編集]部活動
[編集]クラブ活動は上限週3日である。また、高校2年次での引退が制度化されている。
- 体育会系
- 文化系
学校施設
[編集]創立100周年として2014年(平成26年)に完成した校舎は、地上8階、地下1階で延べ約1万9,200平方m。1階から7階まで教室、8階に屋内体育館、地下1階にプールがある[9]。校舎の屋根全面に太陽光パネルを搭載している。
中学18時まで、高校19時まで開放の「自習室」や、不登校の生徒に配慮した「学習室」を保健室の隣に設置している[3]。
また、大阪府四條畷市に、テニスコートなど整備の「清滝グラウンド」(2万6,368m2、四條畷市清瀧1472-1[2])もある。
高校関係者と組織
[編集]関連団体
[編集]高校関係者一覧
[編集]- 政治
- 経済
- 清水信次 - ライフコーポレーション会長兼務CEO。「桜友会」名誉会長(語学校1943年卒)
- 芸能
- スポーツ
脚注
[編集]- ^ a b c 官報大正3年(1914年)9月16日第639号
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 2019年「学校法人大阪貿易学院 令和元年度事業報告書」
- ^ a b c “20年12月号 さぴあインタビュー:読み物/インタビュー/受験受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ”. 進学教室SAPIX小学部 (2020-12-00). 2020年12月13日閲覧。
- ^ 官報大正11年(1922年)7月27日第2996号
- ^ 官報大正12年(1923年)4月17日第3211号
- ^ “開明中学校・高等学校(学費および諸費用 ≪令和2年度 高等学校1年生≫)”. 開明中学校・高等学校. 2020年12月13日閲覧。
- ^ “開明中学校・高等学校(学費および諸費用 ≪令和2年度 中学校1年生≫)”. 開明中学校・高等学校. 2020年12月13日閲覧。
- ^ “開明中学校・高等学校(制服のご案内)”. 開明中学校・高等学校. 2020年12月13日閲覧。
- ^ “学校法人大阪貿易学院 開明中学校・高等学校 - ヒートポンプ”. 一般財団法人 ヒートポンプ・蓄熱センター. 2020年12月13日閲覧。
- ^ “開明中学校・高等学校(櫻友会(同窓会)のページ)”. 開明中学校・高等学校. 2020年12月13日閲覧。