長野県長野工業高等学校
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(長野県長野工業高等学校水泳班から転送)
長野県長野工業高等学校 | |
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北緯36度37分40.7秒 東経138度10分28.9秒 / 北緯36.627972度 東経138.174694度座標: 北緯36度37分40.7秒 東経138度10分28.9秒 / 北緯36.627972度 東経138.174694度 | |
過去の名称 |
長野県立工業学校 長野県長野工業学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
設立年月日 | 1918年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
(全日制課程) 機械工学科 電気電子工学科 情報工学科 物質化学科 土木工学科 建築学科 (定時制課程) 基礎工学科 建築科 |
学校コード | D120220100046 |
高校コード | 20117A |
所在地 | 〒380-0948 |
外部リンク |
長野工業高等学校(全日制) 長野工業高等学校(定時制) |
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長野県長野工業高等学校(ながのけんながのこうぎょうこうとうがっこう)は、長野県長野市差出南にある公立(県立)の工業高等学校。通称は長工(ちょうこう)。
概要
[編集]1918年に長野県立工業学校として開校。県内の工業高校の中では規模が大きく伝統がある。2004年度からは文部科学省が定める「IT人材育成プロジェクト」研究指定校になった。
全日制と定時制あわせ複数の学科が設置されており、一貫して分野ごとの生産技術の基礎的な知識と技術を学ぶ。在学中の国家資格取得や、周辺地域の企業や団体による講演や説明会を通じた実践的な経験を得たり、信州大学や諏訪東京理科大学との高大連携研究などといった活動に強みを持つ。
設置学科
[編集]全日制
[編集]- 機械工学科
- 機械系の製図・設計などの基礎的な知識と技術を学ぶほか、材料の性質や加工・製造・用途などについての知識と技術、コンピュータを使用した生産システムを学ぶ。
- 電気電子工学科
- 電気基礎・電力技術・電子技術などの基礎的な知識と技術を学ぶ。
- 物質化学科
- 生産や環境問題などの基礎的な知識と技術を化学の視点から学び、めっきや化学分析など工業化学の知識を要する技術者を育成する。
- 情報工学科
- コンピュータをはじめとしたプログラミングや人工知能の基礎的な知識と技術を学ぶ。
- 土木工学科
- 土木系の測量・計画・設計・施工などの基礎的な知識と技術を学ぶ。
- 建築学科
- 建築系の製図・設計・構造・計画などの基礎的な知識と技術を学ぶ。近年ではBIMやCADを用いたコンピュータ設計も履修する。
定時制
[編集]- 基礎工学科
- 全日制の機械工学科、電気電子工学科、情報工学科にあたる科目を学び、現代的な工業技術者を育成する。
- 建築科
- 全日制の建築学科にあたる科目を履修する。
沿革
[編集]- 1918年(大正7年)4月 - 長野市岡田町(現在は長野バスターミナルがある場所)に、長野県立工業学校として開校。機械電気科、応用化学科を設置。
- 1920年(大正9年)4月 - 長野県令38号により、長野県長野工業学校に改称。
- 1923年(大正12年)4月 - 土木建築科を設置。
- 1938年(昭和13年)4月 - 機械電気科を機械科と電気科に分科。
- 1942年(昭和17年)4月 - 土木建築科を土木科と建築科に分科。
- 1944年(昭和19年)4月 - 応用化学科を工業化学科に改称。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県長野工業高等学校となる。
- 1966年(昭和41年)4月 - 校舎を現在地の長野市安茂里に移転。
- 1986年(昭和61年)4月 - 情報技術科を設置。
- 1996年(平成8年)4月 - 環境システム科を設置。
- 2000年(平成12年)4月 - 定時制の機械科と電気科を統合し、基礎工学科を設置。
- 2003年(平成15年)8月12日 - 野球班が第85回全国高等学校野球選手権大会へ出場。(1回戦:智辯和歌山1-6)[1]
- 2019年(平成31年)4月1日 - 学科再編、機械工学科、電気電子工学科、物質化学科、情報工学科、土木工学科、建築学科を設置。
- 2021年(令和3年)3月31日 - 機械科、電気科、情報技術科、工業化学科、土木科、建築科、環境システム科を閉科。
校訓・教育目標
[編集]校訓
[編集]- 至誠努力 - 第2代校長の長井教雄の創案による。由来は、東京高等工業学校(現東京工業大学)の教育精神の1つとしてある「至誠一貫」にちなみ、「至誠努力」としたといわれる。1929年6月に信濃教育会総会で記念講演を行った法隆寺貫主佐伯定胤に揮毫を依頼し、扁額として講堂に掲げた。[2]
教育目標
[編集]- 健康で自主的精神にみち、将来、社会のよき形成者としての資質を養い、工業の諸分野における基礎的な知識、技能、態度に習熟した技術者の育成を期する。
著名な出身者
[編集]校章
[編集]- 1948年の学制改革と同時に、桜の文様を背景に「工」の変字体を配置したものが制定された。桜の文様は移転前の土地の愛称に由来したもので、それ以前は単純に「工」の変字体のみであった。
学校行事
[編集]10月上旬に文化祭「長工祭」が催され、一般開放や体育祭も併せて行われる。
班・同好会活動
[編集]北信地方の他の公立高校と同じく「部」のことを「班」と呼称する。
- 運動班
- 陸上競技班
- 硬式野球班
- 軟式野球班
- サッカー班
- ラグビー班
- テニス班
- バレーボール班
- バスケットボール班
- バドミントン班
- 卓球班
- 柔道班
- 剣道班
- 弓道班
- 水泳班
- スキー班
- 山岳班
- 文化班
- 機械工学班
- 電気電子工学班
- 情報工学班
- 物質化学班
- 土木工学班
- 建築学班
- 基礎工学班
- 建築班
- EV競技班
- 文芸班
- 吹奏楽班
- 合唱班
- 軽音楽班
- 美術班
- 棋道班
- 写真班
- 家庭科班
- 同好会
- 英語同好会
- 空手同好会
校歌・応援歌
[編集]- 校歌(作詞:相馬御風 作曲:辻順治)
- 1番から3番まで歌詞が存在するが、2番は長らく歌唱されていない。
- 応援歌「朝日に匂う」(作詞作曲者不詳)
- 応援歌「高きエールに」(作詞:石田洋司 作曲:島津敏夫)
- 会歌(作詞:江間貢 作曲:小出貞幸)
公共交通機関
[編集]鉄道駅
[編集]バス停留所
[編集]- アルピコ交通犀北団地線22「長野工業高校前」下車すぐ
脚注
[編集]- ^ abn長野朝日放送 過去の試合
- ^ 『長工七十年史』長工七十年史編集委員会編,長工七十年史刊行会.p89-90
関連項目
[編集]- 日本の工業高等学校一覧
- 長野県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (長野県)
- 横井弘三 - 1945年~1948年、本校で図画科講師(美術教師)をしていた。