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長谷川コッペ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川よしみから転送)

長谷川 コッペ(はせがわ コッペ、女性、4月23日[1] - )は日本歌手タレントラジオパーソナリティ

旧芸名・長谷川よしみ、本名・長谷川 芳美(はせがわ よしみ)[注 1][注 2]。他名義はコッペ・ミラー(Coppe Millor)[1]現在[いつ?]COPPE'の名前でアメリカで活動中。

来歴・人物

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子供の頃から作曲を始める。バークリー音楽大学を目指していたという[1]1967年6月、フジテレビの『日清ちびっこのどじまん』で自身が作詞作曲した「かわいい風船」を歌い優勝する[2]。翌1968年、13歳にして自身が作曲したオリジナル楽曲「ペケのうた」でレコードデビューし[2][1]第10回日本レコード大賞の童謡賞を受賞。この曲は、当時習っていた作曲、和声の宿題の中から出来たとのことで、これがきっかけで「天才少女現る」などとマスコミなど周囲に騒がれ、この曲も、同じく当時ヒットしていた『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌の売り上げを追い越したという[3]。この時期、藤家虹二に師事した[2]。その当時の音楽の先生に勧められ、NHKの英会話番組に出演し始め、本格的に芸能界入りする[1]。その年にNHK総合テレビジョンの「歌はともだち」にレギュラー出演している[2]成城大学文芸学部芸術学科卒業[1]

その後は芸名を本名の「よしみ」から「コッペ」に改めた上でバラエティータレント及びラジオパーソナリティ、音楽コメンテーター・インタビュアーなどとしての活動をはじめ、テレビでは「おはよう!こどもショー」や「ぎんざNOW!」、「時間ですよ!昭和元年」、「ポッパーズMTV」、ラジオでは「オールナイトニッポン」などのレギュラーを勤めた後、ハワイに渡り[いつから?]、ラジオ局KIKI AM 83のDJとして活動。

1995年アリゾナで自身のレーベルmango+sweetriceを立ち上げ、COPPE'の名義で10作以上のアルバムを発表している。

バイリンガルタレントとしても知られ、アグネス・ラム通訳を務めていたことがある[4]

ミッキーマウスなどディズニーのキャラクターが好きで、ディズニーグッズ収集が趣味でもあり、「ミッキーマウスクラブ」の名誉会員でもある[1]

出演

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テレビ

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ラジオ

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ディスコグラフィー

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  • ペケのうた[注 3] / やきいもさん(1968年5月1日キングレコード、BS(H)-2004。「長谷川よしみ」名義)
    • A面は作詞:名村宏、B面は作詞:小堀愛子。作曲は両面とも長谷川本人。
  • 雨だれさん / 菜の花と女の子(1969年 キングレコード、BS(H)-2011。「長谷川よしみ」名義)
    • A面は作詞:宅見愛子、作曲は長谷川本人、B面は作詞:上田俤子、作曲:藤家虹二。
  • 親友ってどんなやつ / ひとり歩く私(1969年 キングレコード、BS(H)-2013。「長谷川よしみ」名義)
    • A面・B面共に作詞:名村宏、作曲は長谷川本人。シングルレコードのジャケットには「ちびっこソング」との記載がある。

脚注

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注釈

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  1. ^ JASRAC作品コード 076-0238-3「ペケの歌」の作曲者として、権利者「長谷川芳美」の氏名が登録されている[要出典]
  2. ^ 作品コード088-5619-2「やきいもさん」の作曲の著作権は無信託だが、芸名の「長谷川よしみ」で作曲者が登録されている[要出典]
  3. ^ 『日清ちびっこのどじまん』の「ちびっこソング」として使用された[要出典]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、72頁。
  2. ^ a b c d 「13歳の少女が自作自演デビュー 長谷川よしみ」『読売新聞(朝刊)』1968年5月26日、21面。
  3. ^ FUMINORI TANIUE (2007年6月25日). “COPPE' インタビュー”. iLOUD. LOUD 151号インタビュー. エクストラ. 2009年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月25日閲覧。
  4. ^ 明星 1978年8月号 p.137

外部リンク

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