コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

銀山町停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
銀山町駅から転送)
銀山町停留場*
停留場全景
かなやまちょう
Kanayama-cho
M4 稲荷町 (0.4 km)
(0.2 km) 胡町 M6
地図
所在地 広島市中区幟町
北緯34度23分35.69秒 東経132度28分0.86秒 / 北緯34.3932472度 東経132.4669056度 / 34.3932472; 132.4669056座標: 北緯34度23分35.69秒 東経132度28分0.86秒 / 北緯34.3932472度 東経132.4669056度 / 34.3932472; 132.4669056
駅番号 M5
所属事業者 広島電鉄
所属路線 本線
キロ程 1.2 km(広島駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
3,822[1]人/日
-2019年-
開業年月日 1912年大正元年)11月23日
* 1965年に山口町から改称。
テンプレートを表示

銀山町停留場(かなやまちょうていりゅうじょう、銀山町電停)は、広島県広島市中区幟町にある広島電鉄本線路面電車停留場である。駅番号はM5

歴史

[編集]

当停留場は1912年大正元年)、本線の広島駅前から紙屋町までの区間が開通[4]したのと同時に開設された[5]。開設当時の名称は山口町停留場(やまぐちちょうていりゅうじょう)であった[6]

1945年(昭和20年)8月6日原爆投下により広島電鉄の市内線は全線が不通となるが、本線は己斐方面から順次復旧、当停留場を含む区間は同年の10月に運行の再開にこぎつけている[5][7]。その後1965年(昭和40年)4月1日には広島市内で町名変更が実施され[8]、山口町が銀山町になったのに合わせて停留場名も銀山町に改称された[7]

年表

[編集]

停留場構造

[編集]

本線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれている併用軌道であり、当停留場のホームも道路上に設けられている。ホームは低床式で2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置された相対式ホームという形態をとる[11][12]。線路の北に広島駅方面の上りホーム、南に広電西広島駅方面の下りホームがある[11][12]。車両の大型化に伴い、1973-74年ごろには停留場の延長工事がなされている[13]。ホームに架かる上屋は1988年(昭和63年)4月に取り付けられた[14]

かつては当停留場を終着とする方向幕が存在した。折り返し用の上下渡り線があったかどうかについては不明。

運行系統

[編集]

本線は広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れているが、このうち当停留場には1号線、2号線、6号線、それに0号線が乗り入れる。

下りホーム
紙屋町東方面)
1号線 (広電本社前経由)広島港ゆき
2号線 十日市町経由)広電宮島口ゆき、広電西広島ゆき
6号線 (十日市町経由)江波ゆき
0号線 広電本社前ゆき、日赤病院前ゆき
上りホーム 1号線2号線6号線 広島駅ゆき

停留場周辺

[編集]

広島市の目抜き通りである相生通りの東端に位置し、オフィスビル・雑居ビル・マンションなどがひしめく地区である。東に少し歩くと京橋川に出る。南に少し歩くと広島市の歓楽街・風俗街である薬研堀地区に出る。

2000年までは停留場の南方に広島証券取引所があり、周囲は証券街の様相を呈していた[15]。証券取引所が廃止された後も金融機関の本店や支店が多く立地している[12]

バス路線

[編集]
地図
銀山町電停とバス停

相生通り沿いに「銀山町」バス停があり、広電バス[16]広島バス[17]が停車する。

銀山町 バス停(西行き 紙屋町方面)
銀山町 バス停(東行き 広島駅方面)
  • 2(広電バス) 府中町方面
  • 3(広電バス) 広島駅方面
  • 4(広電バス) 仁保車庫前向洋新町車庫方面
  • 21 宇品線(広島バス) 向洋大原・洋光台団地方面
  • 22 横川線(広島バス) 広島駅方面
  • 24 吉島線(広島バス) 広島駅方面
  • 25 草津線(広島バス) 広島駅方面
  • 27 中山線(広島バス) 中山踏切戸坂東浄団地方面

隣の停留場

[編集]
広島電鉄
本線
稲荷町停留場 (M4) - 銀山町停留場 (M5) - 胡町停留場 (M6)

脚注

[編集]
  1. ^ 広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ 『広電が走る街 今昔』45頁
  3. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』43頁
  4. ^ 路線自体は紙屋町より先の櫓下まで竣工していたが、トラブルのため実際に紙屋町より先の区間が開業したのは2週間後のことである[2][3]
  5. ^ a b c d 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  6. ^ 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  7. ^ a b c d e 『広島のチンチン電車 市内線と宮島線波乱に富んだ86年のドラマ』郷土出版社、1998年、227-236頁。ISBN 4-87670-110-5 
  8. ^ 廃止町名と現在の町の区域”. 広島市. 2016年7月23日閲覧。
  9. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』431頁
  10. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』124頁
  11. ^ a b 川島令三全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103頁。ISBN 978-4-7942-1711-0 
  12. ^ a b c 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、9,75頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  13. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』196・233頁
  14. ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』広島電鉄、1992年、128頁。 
  15. ^ 『広電が走る街 今昔』29頁
  16. ^ バス情報 路線バス 広電バス
  17. ^ 路線バス 広島バス株式会社

参考文献

[編集]
  • 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4 
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]