すずきじゅんいち
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(鈴木潤一から転送)
すずきじゅんいち | |||||
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2010年 | |||||
本名 | 鈴木潤一 | ||||
生年月日 | 1952年5月21日(72歳) | ||||
出生地 | 神奈川県茅ヶ崎市 | ||||
職業 | 映画監督、映画プロデューサー、脚本家 | ||||
配偶者 | 榊原るみ | ||||
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すずき じゅんいち(本名・鈴木潤一、1952年5月21日 - )は、日本の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
神奈川県茅ヶ崎市出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学文学部倫理学科卒業。
経歴
[編集]日活に助監督として入社後、神代辰巳、市川崑らに師事する。日活ロマンポルノ作品でデビューした。
1985年、青年海外協力隊としてモロッコに派遣(昭和60年度2次隊、職種:映像)[1][注釈 1]。モロッコ保健省に配属され、要請の内容は視覚による避妊教育のための映画作成であった[1]。しかし、任期半ばで臀部にできたせつの手術をモロッコで受けるが、予後の状況が芳しくなかった[3]。このため任期を短縮し1年で日本に帰国した[3]。
その後、フリーランスに転じ、多くの作品を発表する。2001年に、女優の榊原るみと再婚した[4][注釈 2]。
世界でも活動し、延べ30カ国にて監督・プロデューサーとして、外国の映画製作に協力する。2001年には、夫婦ともどもロサンゼルスに移住し、日本映画の海外セールスエージェンシー業務及び映画プロデューサーを行う。
2010年9月29日、ラスベガス近くで自動車の自損事故を起こし、夫婦ともども重傷を負うも、2名とも命に別状はなかった。これを機に2012年に日本に帰国し、現在は日本を拠点に活動している。
主な作品
[編集]監督
[編集]- 女教師狩り(1982年、にっかつ)
- お姉さんの太腿(1983年、にっかつ)
- 宇能鴻一郎の濡れて学ぶ(1983年、にっかつ)
- 制服肉奴隷(1985年、にっかつ)
- 令嬢肉奴隷(1985年、にっかつ)
- 妖艶 肉縛り(1987年、にっかつ撮影所)
- 偏差値 H倶楽部(1987年、フィルム・シティ)
- 赤い縄~果てるまで~(1987年、にっかつ撮影所)
- 檻の中の欲しがる女たち(1987年、にっかつ撮影所)
- マリリンに逢いたい(1988年、松竹富士=三菱商事=第一企画=東北新社)
- 砂の上のロビンソン(兼脚本、1989年、ビッグバン=ウルトラ企画=ジャパンホーム)
- ふたりだけのアイランド(兼脚本、1991年、中京テレビ放送=名古屋観光サービス=豊島)
- 連れ込み旅館の若女将(兼脚本、1994年、シネマアーク)
- 女帝(兼脚本、1995年、ケイエスエス)
- スキヤキ(兼製作・脚色、1995年、フィルムヴォイス)
- 秋桜(兼製作・原作・脚色、1997年、映画『秋桜』製作委員会)
- ひとりね(兼製作総指揮、2002年、フイルムヴォイス)
- 青空へシュート!(兼脚本、2002年、放映プロジェクト)
- ホーンテッド ハイウェイ(兼製作・脚本、2005年、フィルム・ヴォイス)
- 東洋宮武が覗いた時代(兼企画、脚本 2008年、日米合作)
- 442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍(兼企画、脚本 2010年、日米合作)
- 二つの祖国で 日系陸軍情報部(兼企画、脚本 2012年、日米合作)
- 和食ドリーム(2014年、日米合作)
- クロスロード(監督、2015年)
プロデューサー
[編集]脚本
[編集]- サンクチュアリPART3(1996年、ビデオチャンプ)
原作
[編集]- サロゲートマザー(兼脚色、1995年、東映ビデオ=フジテレビジョン=ソロモン・インターナショナル )
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 青年海外協力隊の流儀 (2010, pp. 253)
- ^ 青年海外協力隊の流儀 (2010, pp. 264)
- ^ a b 青年海外協力隊の流儀 (2010, pp. 257)
- ^ a b c 青年海外協力隊の流儀 (2010, pp. 262)
参考文献
[編集]- 吉岡逸夫『当たって、砕けるな! 青年海外協力隊の流儀』高陵社書店、2010年8月。ISBN 978-477110981-0。