近鉄バファローズナイター
近鉄バファローズナイター | |
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愛称 | バファローズナイター |
ジャンル | プロ野球中継(大阪近鉄バファローズ戦) |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1977年4月5日 - 2004年9月24日 |
放送時間 | 金曜日 17:55 - 21:30 |
放送局 | ラジオ大阪(大阪放送、OBC) |
ネットワーク | ローカル(近鉄遠征時限定で文化放送ほかNRN各局制作協力あり) |
提供 | 近鉄グループ(近鉄百貨店のみの場合もあり) |
特記事項: 1.放送日時は、2004年当時。 2.1998年から2003年までの間、近鉄グループがスポンサーに付かない場合、タイトルの「近鉄」部分が放送曜日名(「○曜」)となっていた。 |
近鉄バファローズナイター(きんてつバファローズナイター、Kintetsu Buffaloes Nighter)は、1977年4月5日から2004年9月24日まで[注 1]、概ね4月から9月のプロ野球シーズン中の平日夜(詳細は後述も参照)にラジオ大阪(大阪放送、OBC)が制作・放送していたプロ野球中継番組である。
概要
[編集]番組内容は文字通り近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ(1999年より)のナイターを扱い、球団の応援放送を全面的に打ち出していた[注 2]。また、球団の親会社である近畿日本鉄道(近鉄)をはじめとする近鉄グループの冠スポンサー番組でもあった(近鉄グループをメインスポンサーとした複数社提供。または、近鉄グループないしは近鉄百貨店の単独提供で放送[注 3])。通常は近鉄戦だけを実況中継し、ホーム・ビジター関係なく自社スタッフを出来る限り派遣していた(対西武ライオンズ・千葉ロッテマリーンズおよび東京本拠地時代の日本ハムファイターズ戦は文化放送、対クラウンライターライオンズ[注 4]戦や、本拠地球団不在時代の福岡県で開催の近鉄が関与する試合(主催・ビジターとも)や、対福岡ダイエーホークス[注 5]戦は九州朝日放送、対北海道日本ハムファイターズ[注 6]戦や、日本ハム移転以前の北海道遠征(ビジター扱いを含む)はSTVラジオ、ナゴヤ球場→ナゴヤドーム・長良川球場での近鉄が関与する試合〈主催・ビジターとも〉は東海ラジオ放送がそれぞれ制作・技術協力することもあった他、要員の都合によっては製作を前記各局に委託することもあった)。オールスター戦などでは、ネット放送も文化放送を中心に稀に行っていた。
開始当初の放送日は、毎週火 - 木曜日だったが、2001年に「マンデー・パ・リーグ」が導入され移動日(休日)が月曜日から木曜へ変更された事に伴い、火・水・金曜日へ変更され[注 7]、2003年まで続いた。なお、2003年は、消費者金融のアコムが球団スポンサー及び本番組冠スポンサーとなったことからタイトルに『アコム・スポーツスペシャル』の冠タイトルを入れた[注 8]。2004年は、近鉄グループのナイター中継への提供枠縮小に伴い、金曜日のみの放送となった。
また、1993年から2003年までは上記曜日以外にも、近鉄グループがスポンサーに付かない形で、1997年まで金曜に土・日と同じく『ラジオ大阪ドラマティックナイター』として、1998年から2000年まで『金曜バファローズナイター』(きんようバファローズナイター)として、2001年から2003年まで『月曜バファローズナイター』(げつようバファローズナイター)として、それぞれ放送した[注 9]。
放送時間は原則、2003年までは、近鉄グループがスポンサーに付く日は17:55-21:30、近鉄グループがスポンサーに付かない日は18:00-21:00という編成で放送されたが、2004年は、金曜の17:55-21:30に放送していた[注 10](いずれも、時間内に試合が終わらない限り、最長22:00までの延長オプションが設けられていた[注 11])。
近鉄デーゲーム中継
[編集]OBCは原則デーゲーム中継をすることはないが、近鉄のオープン戦と開幕カードについては中継する場合があった[注 12]。また、1988年10月19日のリーグ優勝がかかったロッテ対近鉄ダブルヘッダー(場所:川崎球場。通称:10.19)も、デーゲームだった第1試合から完全生中継していた[注 13][注 14]。
速報チャイム
[編集]速報チャイムはNRNナイター[注 15]用や『文化放送ライオンズナイター』で使用しているものとも違う独自のものを使用していた。このチャイムは1993年にラジオ大阪がAMステレオ放送を開始したことに合わせ、電子音にアレンジされたものに変更された[要出典]。
大阪ドームでのミニFM再送信
[編集]1997年からバファローズの本拠地球場となった大阪ドームでは、AMラジオの電波が入りにくいことから、場内ミニFMによるラジオ大阪の再送信を行っていた[17]。周波数はFM89.0MHz[17]。
近鉄戦中継のない場合
[編集]雨天中止や近鉄戦の予定が無い時は、開始初年度の1977年には、他の在阪球団主催カードを放送することがあったが(一例として、1977年5月26日の「南海対クラウンライター」[18])、土・日曜同様『OBCビッグナイター』の番組名に変えていたのか、スポンサーセールス面でも近鉄グループ協賛のままだったか、別スポンサーに振り替えていたかは不明である[注 16]。
近鉄ナイタージョッキー
[編集]その後は他の試合を放送しない方針に転換し(時期不明)、他の試合ではなくOBCのスタジオからバファローズの情報・近鉄沿線ガイドなどで構成したバラエティ番組『近鉄ナイタージョッキー』(きんてつナイタージョッキー)[注 17]を放送した[注 18]。
OBCスタジオ外からの公開録音放送を行ったこともあった[注 19]。
参考:1985年当時のコーナー[4]
近鉄グループ提供日以外の代替番組
[編集]近鉄グループ提供日以外で近鉄戦の予定がないときは、主に以下のスポーツ番組ないしは歌謡曲番組を編成していた。
- 金曜スポーツ帝王(金曜『ドラマティックナイター』最終年の1997年。パーソナリティは寺西裕一)[注 21]
- 水谷ひろしの「いいね!歌謡曲」(1998年。18:00 - 21:30)[注 22]
- ガッツ大阪水谷ひろしのミレニアム歌謡曲(2000年)[注 23]
- ナイタージョッキー(2000年)
- 新世界歌謡曲(2001年)[注 24]
- OSAKA歌謡ウエーブ(2002年 - 2003年。金曜も放送)[注 25]
オリックスとの合併、そして終了へ
[編集]2004年、大阪近鉄バファローズのオリックス・ブルーウェーブへの球団合併に伴い、9月24日に大阪ドームから放送された近鉄対西武戦(本拠地・大阪ドームでの最終ゲーム)の実況中継をもって28年間の放送を終了した[注 1]。
同年10月2日には、『感動をありがとう!大阪近鉄バファローズ』と題した特別番組が放送[23][24](17:25 - 17:55、18:00 - 19:00[注 26])。歴代の解説者・実況アナ・近鉄ガールの出演で球団と『バファローズナイター』を振り返る構成だった[23]。
終了後
[編集]ラジオ大阪では2005年度から、日本の他の民間AMラジオ局に先駆けて、平日ナイター中継のレギュラー放送枠を廃止[2]。オリックス・ブルーウェーブによる近鉄球団の吸収合併によって誕生したオリックス・バファローズのホームゲームが金曜日に組まれている場合に限って、『オリックス・バファローズ ナイトスタジアム』というタイトルで中継枠を編成したが、1シーズン限りで終了した。レギュラー編成は、土・日曜日の『ドラマティックナイター』のみとなった。
バファローズナイター終了後のラジオ大阪における近鉄グループ冠スポンサー番組は、2008年4月4日に『ほんまもん!原田年晴です 金曜スペシャル』(金曜12:00 - 17:00)内の1コーナーとして開始した、『近鉄まわりゃんせアワー』(15時07分頃 - 15時37分頃)[25]、2011年4月リニューアルの『ぐるり近鉄沿線情報』(15時07分頃 - 15時22分頃→2016年10月現在、木曜13:05頃 - 13:22頃)がある。
出演者
[編集]解説
[編集]- 池辺巌(1980年 - 1983年)
- 大崎三男(1977年 - 1978年、1981年 - 1983年。関西テレビ・フジテレビ解説者兼)
- 岡義朗(1999年 - 2001年)
- 加藤英司(1989年 - 1994年[注 27]。関西テレビ・フジテレビ解説者兼)
- 栗橋茂(1993年 - 1996年)
- 黒田正宏(1993年 - 1998年[注 28])
- 佐藤道郎(1997年 - 2003年)
- 清俊彦(1977年 - 1979年)
- 関口清治(1984年 - 1985年)
- 辻佳紀(1977年 - 1988年[注 29])
- 仲根正広(1989年 - 1995年途中[注 30]。NHK BS1解説者兼)
- 平野光泰(1986年 - 1996年)
- 村田辰美(1991年 - 1992年、1996年 - 2004年。関西テレビ・フジテレビ解説者兼)
- 吉田剛(2002年 - 2004年)
- 米田哲也(1989年 - 1992年途中[注 31]。関西テレビ・フジテレビ解説者兼)
実況担当アナウンサー
[編集]- 高橋征二(? - 1997年)[注 32]
- 渡辺剛夫
- 永田勉
- 内田修
- 水野清文
- 中井雅之(1992年のOBC退社後も引き続き最終年まで担当)[注 33]
- 松本恵治(最後の中継を担当)
- 田中友英(1990年代から、2002年3月31日のデーゲーム中継まで担当し、RKB毎日放送に移籍[26])
- 初田実
- 寺西裕一(フリー。終了年まで担当)[注 34]
- 高野勝正(フリー)
- 山口富士夫(フリー)[29]
- 坂信一郎(フリー。関東地区での試合の担当)[注 35]
- 矢野吉彦(フリー。関東地区での試合の担当)[注 36]
- 中田秀作(フリー。関東地区での試合の担当)[注 37]
スタジオ進行
[編集]- 片山光男(近鉄ナイタージョッキー担当[注 38]。また、1999年まで、バファローズご意見番として出演[注 39])
- 堀江良信(2000年より、バファローズ応援団長として出演)[注 40]
- 中井雅之(実況担当ではない場合に担当したことがある)
- 小菅文代(片山とともに近鉄ナイタージョッキー担当)[注 41]
- 原田登貴子(1993〜1995 近鉄ガール)
- 澤田真紀(澤田磨希。近鉄ガール)[注 42]
- 石川展子(近鉄ガール)[注 43]
- 安本雅代(2003年 - 2004年、近鉄ガールを担当)[注 44]
- 桂都丸(近鉄ナイタージョッキー担当)[注 45]
- 小西あき(近鉄ナイタージョッキー担当)[注 46]
- 橘秀明(2000年ごろ、金曜中止時の「ナイタージョッキー」担当[8])
- 仲みゆき(2000年ごろ、金曜中止時の「ナイタージョッキー」担当[8])
走れ!近鉄バファローズ
[編集]オフシーズン(概ね10月 - 翌年3月までの間)には、近鉄グループ提供により、18時からの15分枠で『走れ!近鉄バファローズ』というチーム情報番組を放送[注 47]。2003年3月を最後に終了、2003年 - 2004年のオフシーズンは放送されなかった。
出演者
[編集]1994年度オフ - 1995年度オフ
- 松本恵治・原田登貴子
1996年度オフ - 1997年度オフ
- 村田辰美・石川展子[注 43]
1998年度オフ - 2000年度オフ
- 村田辰美・澤田磨希(1999年度までは澤田真紀)[注 48]
2001年度オフ
- 澤田磨希・仲原里香
2002年度オフ
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 放送開始・終了時期について…、
- ^ 参考…番組公式サイト(1998年[3])より、「ラジオ大阪では、98年度も近鉄バファローズのナイトゲームを中継放送し、バファローズを全面的に支援します。」との文言あり。
- ^ 参考として、1985年春当時のラジオ大阪番組表[4]では、火・水曜は「近鉄グループ」、木曜は「近鉄百貨店」とだけスポンサー名が記載されていた(土・日の『OBCビッグナイター』については、近鉄グループ外の複数スポンサー名が明記)。
- ^ 1978年まで。1979年より福岡県から埼玉県に本拠地移転し西武ライオンズとなる。
- ^ 1989年、それまで大阪府に本拠地を置いていた南海ホークスが福岡県に移転し福岡ダイエーホークスとなった。
- ^ 2004年に北海道へ本拠地移転し、球団名を変更。
- ^ 参考…[5]
- ^ 2003年度当時のラジオ大阪番組表[6]では、火曜はアコムと近鉄グループ、水曜はアコムと近鉄百貨店と近鉄グループ、金曜はアコムと近鉄百貨店がそれぞれ明記(『アコム・スポーツスペシャル』の冠タイトルは確認できず)。
- ^ これら、近鉄の冠がつかない『バファローズナイター』については、球団公式ガイドブックの広告において記載されなかった(参考:2001年[5])。
- ^ 参考(放送時間):
- ^ 参考…番組公式サイト(1998年[3])
- ^ 参考…2001年は、16日の近鉄対ダイエーオープン戦を午後1時から、24日の日本ハム対近鉄開幕戦を午後1時30分からそれぞれ編成[15]。また、同年度の『近鉄バファローズナイター』を27日から編成していた[15]。
- ^ 参考:後年、ラジオ大阪公式サイト内で配信された、中井雅之(当時の第1試合実況担当アナ)によるコメント(「実況していて自分を忘れた唯一の試合」とつづっている)[16]
- ^ なお、ラジオ大阪開局60周年記念特設サイト[1]では、誤って1989年10月19日の出来事として“球史に残る川崎球場での8時間に渡る「近鉄-ロッテ戦」の熱闘を完全生中継。”と記載。
- ^ 通常NRNネットワークを通じてのナイター中継。ラジオ大阪では、土・日の『ドラマティックナイター』に相当。
- ^ 後年の『文化放送ライオンズナイター』は、不定期に巨人戦やロッテ戦などを放送する場合でもスポンサーセールスや番組名はそのままである。
- ^ OBCが梅田から弁天町(弁天一丁目のORC200内)へ本社移転した1993年以降は『近鉄ナイタージョッキー 弁天町からプレーボール』(きんてつナイタージョッキー べんてんちょうからプレーボール)と表記される場合もある。参考…番組公式サイト(1998年[3])、OBC公式サイト内平日番組表(2000年[8]、2001年[9]、2002年[10]、2003年[11])
- ^ 参考…2004年度当時[19]
- ^ 参考…2004年7月29日に朝日スカイバイキング屋上ビアガーデンで収録[19]。
- ^ 次の資料では「河内屋菊水丸」表記…[4]
- ^ 参考:1997年7月4日・18日・25日[20]。寺西がパーソナリティだったことは次の資料を参照[21]。
- ^ 参考:1998年6月12日[22])
- ^ 参考:5月5日[8]。ただし、『近鉄バファローズナイター』枠で編成される場合もあった(5月4・11・18日の木曜[8])。
- ^ 4月23・30日(出演:水谷ひろし、ゲスト歌手[9])
- ^ 出演:水谷ひろし(2002年[10]、2003年[11])。月曜…2002年7月15日[10]・2003年4月21日[11]、金曜…2002年6月14日[10]・2003年4月11日[11]
- ^ 放送時間については、各種資料より「午後5時25分から55分」[23](17:25 - 17:55…『OBCスペシャル』枠[23])「午後6時から7時」[23](18:00 - 19:00…『OBCバラエティー』枠[23])という情報あり。
- ^ 1988年はOBCビッグナイターへの出演のみで、バファローズナイターへの出演実績なし。
- ^ 1992年は出演実績なし
- ^ 1989年は出演実績がないままシーズン途中に死去
- ^ 1995年シーズン途中に死去
- ^ 1992年シーズン途中にオリックス投手コーチへ就任。1987年と1988年はOBCビッグナイターへの出演のみで、バファローズナイターへの出演実績なし。
- ^ 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』では1997年まで掲載。
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]、2002年[10]、2004年[13]
- ^ 参考:1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]、2002年[10]、2004年[13]、ほか(“「近鉄バファローズナイター」実況、レポート ”と記載[27][28])。一部資料では「寺西祐一」と誤記(1998年[3])。
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]、2003年7月4日の西武対近鉄戦(西武ドーム)・9日・21日のロッテ対近鉄戦(千葉マリンスタジアム)[30]
- ^ 参考:2003年7月7日・23日のロッテ対近鉄戦(千葉マリンスタジアム)[30]
- ^ 参考;1985年春[4]
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]
- ^ 参考:2000年(肩書は「Bu応援団長」と表記[8])、2001年[9]、2002年[10]。月1回のイベント「がんばれバファローズ・ファン招待デー」[31]やナイタージョッキー[31]を担当。また、リスナーにより「炎の応援団長」というキャッチコピーも付けられた[31]。
- ^ 参考;1985年春[4]
- ^ 参考:1999年(澤田真紀名義[7])、2000年(ここから澤田磨希名義[8])、2001年[9]、2002年[10]
- ^ a b 参考(本番組および『走れ!近鉄バファローズ』に出演の旨が明記[32])、1998年(本番組[3])
- ^ 近鉄ガール担当開始年については次の資料を参照[31]。最終年については次の資料を参照[16]。
- ^ 参考:1998年[3]
- ^ 参考:1998年[3]
- ^ 参考…2002年度オフ当時[33][34]
- ^ 参考:1999年度(10月[35]、翌3月[36])
出典
[編集]- ^ a b ラジオ大阪開局60周年|ラジオ大阪の歩み
- ^ a b 第476回 大阪放送番組審議委員会(平成17年=2005年4月13日開催)議事録 - ラジオ大阪公式サイトより ※議題1「ラジオ大阪の4月改編について」における、ラジオ大阪サイドからのコメントを参照。
- ^ a b c d e f g h i j k 1998年当時の番組公式サイト
- ^ a b c d e 『ラジオ新番組速報版1985年春版』および『ラジオマニア2010』(いずれも三才ブックス刊。後者は、前者の縮刷版)にも掲載。
- ^ a b 『2001年 大阪近鉄バファローズ 公式イヤーブック』(編集発行:大阪近鉄バファローズ)P72に掲載された、『近鉄バファローズナイター』の宣伝広告
- ^ 『ラジオ番組表』2003年春号掲載のラジオ大阪番組表(『ラジオマニア2015』P164にも縮刷掲載)
- ^ a b c d e f g h 1999年4月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同27日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 2000年5月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同10日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d e f g h i j 2001年4月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同11日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d e f g h i j 2002年8月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同5日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d e f 2003年4月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同8日付保存キャッシュ)
- ^ 2004年6月当時のラジオ大阪プロ野球ナイター中継放送予定表(インターネットアーカイブ同19日付保存キャッシュ)
- ^ a b c 2004年4月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同2日付保存キャッシュ)
- ^ 2004年6月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同8日付保存キャッシュ)
- ^ a b 2001年3月当時のラジオ大阪公式サイト内プロ野球中継情報ページ(インターネットアーカイブ同4日付保存キャッシュ) ※25日のカードが近鉄対ダイエー戦となっているが、誤り(24・25日は日本ハム対近鉄の2連戦で、27・28日が近鉄対ダイエー2連戦だった。参考リンク…2001年当時、日本野球機構(NPB)公式サイトで配信された、3・4・5月分のパ・リーグ公式戦日程表=インターネットアーカイブ同11月2日付保存キャッシュ)。
- ^ a b 2004年度当時の『近鉄バファローズナイター』公式サイト内出演者紹介ページ(インターネットアーカイブ同6月17日付保存キャッシュ)
- ^ a b 『大阪ドームで野球中継が聴こえにくいあなた・・・・。』(1997年当時、ラジオ大阪公式サイト内で配信していた大阪ドーム場内ミニFMによる再送信を告知するページ)(インターネットアーカイブ同年7月26日付保存キャッシュ)
- ^ 『サンケイ新聞』大阪本社版1977年5月26日付テレビ・ラジオ欄
- ^ a b 『都丸つれづれ日記』バックナンバー 2004年6月28日 - 8月8日分 その50(インターネットアーカイブ同11月24日付保存キャッシュ)より、7月29日分『近鉄ナイタージョッキーの公開録音』を参照。
- ^ 1997年7月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同26日付保存キャッシュ)
- ^ 寺西裕一プロフィール - ユウセイプランニング公式サイトより。 ※大阪放送の番組として、「金曜スポーツ帝王」パーソナリティーと記載。
- ^ 1998年6月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同14日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d e f 2004年10月1日当時のラジオ大阪公式サイトトップページ(インターネットアーカイブ同日付保存キャッシュ)より、インフォメーション欄の記述を参照。
- ^ 2004年10月当時のラジオ大阪公式サイト内土・日曜番組表(インターネットアーカイブ同15日付保存キャッシュ)
- ^ 参考:ほんまもんの日記(『ほんまもん!原田年晴です』公式ブログ)トップページ(インターネットアーカイブ2008年4月18日付保存キャッシュ)より、「真剣勝負!!」(2008年4月4日付エントリ)を参照。
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2006』(『ホームラン』2006年3月号増刊、日本スポーツ出版社発行)掲載記事「2006年プロ野球アナウンサー紹介」242ページの記述より参照。
- ^ 2001年5月当時のアナウンサーネットワーク公式サイト内寺西裕一プロフィール(インターネットアーカイブ同21日付保存キャッシュ) ※インターネットエクスプローラーにて、右クリック→「エンコード」→「日本語(シフトJIS)」に設定の上、閲覧する必要あり(表示環境によって、文字化けする場合あり)。
- ^ 2004年4月当時のアナウンサーネットワーク公式サイト内寺西裕一プロフィール(インターネットアーカイブ同19日付保存キャッシュ) ※インターネットエクスプローラーにて、右クリック→「エンコード」→「日本語(シフトJIS)」に設定の上、閲覧する必要あり(表示環境によって、文字化けする場合あり)。
- ^ 山口富士夫のプロフィール - ベストスピーカー(司会者・アナウンサー派遣事務所)のサイトに配信されたもの(インターネットアーカイブ2004年3月27日付保存キャッシュ) ※OBCの番組として「バファローズナイター」と記載。
- ^ a b 2003年7月のラジオ大阪ナイター中継放送予定一覧表 - 当時のラジオ大阪公式サイトより(インターネットアーカイブ2003年8月6日付保存キャッシュ)
- ^ a b c d 2003年度当時の『近鉄バファローズナイター』公式サイト内出演者紹介ページ(インターネットアーカイブ同8月6日付保存キャッシュ)
- ^ 『やまなのぶっちゃけトーク』オフィシャルサイト内過去の共演者リストより、石川展子のプロフィール内主な出演番組を参照。ラジオ大阪の出演番組として「近鉄バファローズナイター」「走れ! 近鉄バファローズ」とそれぞれ明記(「」内はリンク先の表記に基づく)。
- ^ a b 『都丸つれづれ日記』バックナンバー 2002年9月9日 - 10月6日分 その30(インターネットアーカイブ2003年6月25日付保存キャッシュ)より、10月6日分『毎日登場「走れ!近鉄バファローズ」』を参照。
- ^ a b 2002年12月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同10日付保存キャッシュ) ※タイトルは「走れ!近鉄、バファローズ」と表記。
- ^ 1999年10月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同4日付保存キャッシュ) ※インターネットエクスプローラーにて、右クリック→「エンコード」→「日本語(シフトJIS)」に設定の上、閲覧する必要あり(表示環境によって、文字化けする場合あり)。
- ^ 2000年3月当時のOBC公式サイト内平日番組表(インターネットアーカイブ同1日付保存キャッシュ)
参考資料
[編集]- 『ラジオマニア2010』(『三才ムック』vol.329。2012年10月16日発売・11月1日発行、三才ブックス)ISBN 4861992931
- 『ラジオマニア2015』(『三才ムック』vol.810。2015年7月28日発売・8月1日発行、三才ブックス) ISBN 978-4-86199-800-3
- 各種外部リンク
関連項目
[編集]- 近鉄バファローズアワー…1975年から2004年までの間、朝日放送(ABC)ラジオで日曜→土曜の昼から夕方頃に放送していた、バファローズ応援番組。デーゲームがある際は中継番組として放送された。『近鉄バファローズナイター』と同じく、近鉄グループの冠スポンサー番組であり、沿線ガイドコーナーも存在した。
外部リンク
[編集]過去にラジオ大阪公式サイト内に掲載されていた番組公式サイト(ナイター中継総合ページも含む)の、インターネットアーカイブにおける保存キャッシュへのリンク。
- 2000年 - 2004年の保存キャッシュ一覧(リンク先の内容は、2003年7月初めごろより更新されていない)
- 2004年 - 2005年の保存キャッシュ一覧(2005年4月27日付保存キャッシュよりドラマティックナイター)
出演者のサイト
- 『都丸倶楽部』(桂都丸公式サイト)内で配信されたウェブ日記『都丸つれづれ日記』のバックナンバー一覧 ※2000年11月27日から2008年7月31日分まで(リンク先は、インターネットアーカイブ2008年12月18日付保存キャッシュ)。自身が担当した『近鉄ナイタージョッキー』に関するエントリも含まれている。