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カナサシ重工

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金指造船所から転送)
株式会社カナサシ重工
Kanasashi Heavy Industries Co.,LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
424-0901
静岡県静岡市清水区三保491番地の1
設立 1999年3月
業種 輸送用機器
法人番号 8080001007863 ウィキデータを編集
事業内容 船舶の製造・修理・販売他
代表者 代表取締役社長 村上啓二
資本金 3億円
売上高 102億円(2008年3月期)[1]
従業員数 144名[1]
決算期 3月期
主要株主 村上秀造船
主要子会社 カナサシエンジニアリング
サンセイプランサービス
外部リンク http://www.kanasashi-hi.co.jp/
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株式会社カナサシ重工(カナサシじゅうこう)は、静岡県静岡市清水区に本社を置く日本の造船会社である。

歴史

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もともとは金指造船所として1903年(明治36年)7月に大阪府で初代社長金指丈吉により設立された[2]。1923年(大正12年)から日本で初めての鋼製漁船の建造を開始し[2]、1928年(昭和3年)10月からは清水市(後の静岡市清水区)に移転し[2]、1936年(昭和11年)9月に法人化して[3]以後も漁船の建造を行ってきた。1963年(昭和38年)には鋼製漁船の建造量がシェア42 パーセントで日本一となっている[2]

しかし1988年(昭和63年)に造船不況の影響を受けて会社更生法の適用を申請した[4]。1991年(平成3年)4月1日に商号を変更して株式会社カナサシとなり、さらに1999年(平成11年)3月に清水工場を分社化して株式会社カナサシ重工となった[2]。存続した株式会社カナサシは株式会社豊橋造船(現・新来島豊橋造船)となっている[3]。2004年(平成16年)には旧カナサシから完全独立を果たした[3]

その後は貨物船の建造などにも進出して売り上げを拡大したが[3]、資材と燃料費高騰の影響により2007年(平成19年)から赤字に転落し、2009年3月期は23億円の赤字を見込んでいる[4]。これに加えて、カナサシからの独立に伴う設備や不動産の買い取り費用も重荷となっていた[3]。2009年(平成21年)3月31日には銀行からの融資が得られなかったとして新卒入社予定の19人の内定を取り消し、翌4月1日から工場の操業を停止している[5]。4月中旬を納期とする船の完成のために4月13日からの操業再開を目指し、静岡市などからの支援要請も行われていた[6]が、自力での再建は困難と判断して4月10日に会社更生法の適用を申請した。負債総額は約201億円[3]

2013年村上秀造船の100%子会社となり総額3億円の支援を受け、経営再建を目指すと発表した[7]。2014年(平成26年)3月31日で更生手続きを終了した[8]

事業所

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静岡市清水区三保に面積69,561.95 平方メートルの造船所があり、造船用の船台が2つ、修繕用の船台が1つ、乾船渠(ドック)が1つ、艤装用の岸壁が3つある。また豊川に営業所がある[1]

野球部

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1960年代に硬式野球部が日本産業対抗野球大会に出場したが、都市対抗野球大会への出場は果たせないまま、1971年限りで活動を停止、当時投手の池谷公二郎日本楽器に移籍した。

出典

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  1. ^ a b c 2010年度 基本情報 (株) カナサシ重工 2009年4月2日アクセス
  2. ^ a b c d e 会社沿革 2009年4月11日アクセス
  3. ^ a b c d e f 帝国データバンク 大型倒産速報 2009年4月10日
  4. ^ a b 造船のカナサシ重工が操業停止 静岡 MSN産経ニュース 2009年4月2日
  5. ^ 入社前日、新卒19人内定取り消し 静岡の造船会社 asahi.com 2009年4月2日
  6. ^ 内定取り消しのカナサシ重工が操業再開へ Fuji Sankei Business i 2009年4月9日
  7. ^ カナサシ重工、村上秀造船の傘下で再建へ - 日本経済新聞(2013年10月19日)、2013年10月22日閲覧。
  8. ^ 更生会社株式会社カナサシ重工 会社更生手続終了のお知らせ” (PDF). カナサシ重工 (2014年4月2日). 2016年3月25日閲覧。

外部リンク

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