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野毛山公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野毛山から転送)
野毛山公園
Nogeyama Park
分類 都市公園総合公園
所在地
座標 北緯35度26分45秒 東経139度37分25秒 / 北緯35.44583度 東経139.62361度 / 35.44583; 139.62361座標: 北緯35度26分45秒 東経139度37分25秒 / 北緯35.44583度 東経139.62361度 / 35.44583; 139.62361
面積 90,793 m2
開園 1926年(大正15年)9月18日
運営者 横浜市(指定管理者:公益財団法人横浜市緑の協会[1]
駐車場 なし
告示 1925年1月26日
事務所 みどり環境局 南部公園緑地事務所 都心部公園担当
事務所所在地 横浜市中区本町6-50-10(横浜市役所
公式サイト 野毛山公園(野毛山動物園公式サイト)
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野毛山公園(のげやまこうえん)は、神奈川県横浜市西区に位置する都市公園(総合公園)。面積は約9.1ha、敷地内には野毛山動物園があり、約380本あるの名所としても有名である[2][3]。園内からはみなとみらい地区も一望できる。

沿革

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古くから、野毛浦(現:野毛町)に面した標高50mの丘陵一帯を野毛山と称していた。

  • 1859年 横浜が開港すると、開港場より東に外国人が居住、西の野毛山は日本人の豪商たちの住宅地となり、原善三郎茂木惣兵衛らの邸宅が建てられた[4]
  • 1887年 ヘンリー・スペンサー・パーマーによって野毛山に横浜水道の配水池が設置され、日本初の近代水道が始まる[5]
  • 1923年 関東大震災で野毛山も被災。
  • 1926年 野毛山は避難場所も兼ねた公園となって一般公開される。開園当時は、回遊式日本庭園、西洋庭園、折衷庭園の三つの様式を持っていた[6]
  • 第二次世界大戦中は陸軍に使用され、戦後1947年までは米軍に接収されていた。
  • 1949年 日本貿易博覧会が開催、野毛山が第一会場となる[2]
  • 1951年 日本庭園部分に動物園が、配水池に連なる洋式庭園部分に児童遊園が造られ、「野毛山遊園地」として開園。
  • 1964年 配水池の老朽化により配水池を地下に新設、児童遊園も含めた配水池地区を公園とした[2]。これにより、動物園地区は野毛山動物園となり現在の形となる。
  • 1971年 横浜市初のスロープ式歩道橋「野毛のつり橋」完成。
  • 1987年 横浜水道創業100年を記念して、パーマーのブロンズ胸像が除幕。
  • 2002年 動物園地区で1999年から改修工事が行われ、野毛山動物園が11月リニューアルオープン。
  • 2009年 配水池地区のバリアフリー化[7]、改修工事着工。
  • 2011年 二代目野毛山公園展望台が8月1日オープン[8]

施設

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動物園地区
野毛のつり橋
標識
柳宗理によるデザイン
展望地区
  • 旧野毛山配水池
  • ヘンリー・スペンサー・パーマー胸像
  • 競技会場地記念碑
  • 展望台(二代目)[8]
    • 2階(こもれびテラス):高さ3.6〜5.1m 面積30m2
    • 3階(展望テラス):高さ6.3m 面積102m2(3階標高:約57m)
    • 付帯設備:エレベーター、多目的トイレ、男子トイレ、女子トイレ
  • 3on3バスケットボールコート
  • 遊具広場
散策地区
佐久間象山の顕彰碑
中村汀女の歌碑
ラジオ塔
ラジオの聴取契約者が100万人を越えた記念に、日本放送協会1932年昭和7年)に全国の著名な公園や広場に建てる計画が進められ、1932年昭和7年)度から1933年昭和8年)度中に41カ所が完成して、その中に野毛山公園も選ばれ建塔された[9]
  • 子供の遊び場

所在地・交通

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神奈川県横浜市西区老松町63-10

周辺

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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