ケニー野村
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都目黒区[1] |
生年月日 | 1959年2月27日(65歳) |
身長 体重 |
180[注 1] cm 85[注 1] kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ケニー 野村(ケニー のむら、Kenny Katsuhiko Nomura[2]、1959年2月27日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手)であり、スポーツアドバイザーである。日本名は
実兄は元プロ野球選手でスポーツ選手の代理人業を務める団野村。継父は元プロ野球監督の野村克也、異父弟として元プロ野球選手の野村克則が、異父母弟として継父・克也の前夫人との長男(団・ケニーより年下。克則より年上)がいる。
来歴・人物
[編集]1959年(昭和34年)、神奈川県出生[3]。父親は、日本に駐在していた東欧ユダヤ系アメリカ人であるアルヴィン・エンゲル(Alvin George Engel)、母親は日本人の伊東芳枝(後の野村克也夫人、野村沙知代)。東京都目黒区出身[1]。
小学校から高校まで、セント・メリーズ・インターナショナル・スクール(東京都世田谷区)に学んだ。大学は、カリフォルニア工芸大学に進学したが[1]中退[3]。1978年(昭和53年)、母親の再婚が成立し、野村克也の継子となった。
1979年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団し、2年間在籍。次いで1982年(昭和57年)からの2年間は日本ハムファイターズに在籍したが、最後まで一軍でプレーする機会はなかった。
その後は日本やアメリカで、スポーツアドバイザーとして活動している。2001年(平成13年)には、自伝であり、母親(野村沙知代)についての暴露本でもある著作を出版した[4]。また週刊新潮に掲載されたインタビューで沙知代がケニーに役員報酬として6000万円を支払っているという件につき「そんな事実はない」と沙知代の税金逃れの手口を暴露した[5]。翌年、巨額の脱税容疑で逮捕・起訴されていた母親に有罪判決が出たことを知った野村は、これらは自著が母親を追い詰めた結果であるとして、「正義が勝った」との感想を述べている[6]。
実母の野村沙知代[7]、実兄の団とは、それぞれ絶縁状態になっていたという。しかし継父の克也とは絶縁状態になっておらず、1年に何度か面会している。また、後述のインタビューでも「父が野球を教えてくれた」と感謝の意を語っている。また、2005年に克也の立会いの下、沙知代と和解。2017年には彼女の死の2週間前にも実家を訪ねたと語っている[8]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 39 (1980年 - 1981年)
- 61 (1982年 - 1983年)
参考文献
[編集]- 伊東信義『姉野村沙知代』 ラインブックス 1999年6月 ISBN 4-89809-041-9
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 野村克彦 『ホームラン』12球団全選手百科名鑑1982
- ^ Kenny Nomura, 39 School of Baseball Tokyo Drive Magazine, Aug 2010, Retrieved on Aug-26-2010
- ^ a b 著者略歴 (ケニー野村) 『グッバイ・マミー -母・野村沙知代の真実』 新潮社 2001年9月
- ^ 『グッバイ・マミー 母・野村沙知代の真実』 新潮社 2001年9月 ISBN 4-10-449001-6
- ^ 野崎勝義著「ダメ虎を変えた!ぬるま湯組織に挑んだ、反骨の11年」朝日新聞出版、2011年、P83
- ^ 『スーパーJチャンネル』 テレビ朝日 報道
- ^ 『週刊新潮』2001年6月14日号、ケニー野村(42)衝撃の告白手記「私は母野村沙知代を許さない」の中で「私はあなた(沙知代)を母親と思ってない」と語っている。
- ^ 「次男ケニー氏が2週間前振り返り「元気だった」 - おくやみ」『日刊スポーツ』2017年12月9日。2024年10月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- (インタビュー) ケニー・ノムラ Tokyo Drive Magazine 2010年8月