都南ビル
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(都南貯蓄銀行から転送)
都南ビル | |
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関内側より。屋上の鉄骨はネオンサインの名残 | |
情報 | |
旧名称 | 都南貯蓄銀行本店ビル |
用途 | 事務所、店舗 |
旧用途 | 銀行 |
設計者 | 山口為蔵 |
施工 | 山口組 |
建築主 | 都南貯蓄銀行 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造 |
階数 | 地上6階(5階建とする資料もあり[1]) |
竣工 | 1930年(1928年竣工とする資料もあり[2]) |
所在地 | |
座標 | 北緯35度26分45.7秒 東経139度37分59.3秒 / 北緯35.446028度 東経139.633139度座標: 北緯35度26分45.7秒 東経139度37分59.3秒 / 北緯35.446028度 東経139.633139度 |
都南ビル(となんビル)は、横浜市中区吉田町に所在する建築物である。
歴史
[編集]1921年(大正10年)12月17日、神奈川県内の23行の貯蓄銀行と4行の普通銀行貯蓄部を統合し、横浜市弁天通に都南貯蓄銀行設立。1923年の関東大震災ののち、1928年(昭和3年)に吉田町に移転、1930年には本店ビル(現在の都南ビル)が竣工した[3]。1945年に都南貯蓄銀行は横浜興信銀行(現在の横浜銀行)に統合されたが、本店ビルは継承されなかった[4]。横浜大空襲での大きな被害は免れ、戦後は1945年10月2日から1955年7月22日までPXの写真工場として接収された[5]。1954年から静岡中央銀行横浜支店として使用されたが、2005年5月9日に磯子区丸山に移転した[6]。
建築
[編集]関内駅方面から吉田橋を渡った先の右手。野毛町方面へ向かう吉田町通りと、首都高速の堀割に沿った山下長津田線に挟まれた一角に位置する。設計は山口為蔵。鉄筋コンクリート構造の地上6階建てで[2]、スクラッチタイルの外観が特徴的である。首都高速側のエントランスとその上の2階バルコニーは、壁面とは異なった方を向いている[1]。屋上にはかつて多聞酒造のネオンサインがあり、撤去された現在も台座が残る。1階にはウナギ料理店[7]、2階以上には建築家の事務所などが入居する[8]。
脚注
[編集]- ^ a b “都南ビル”. 近代建築アーカイブクラブ. 2019年3月4日閲覧。
- ^ a b “第32回 新しい建築とのかかわり方”. 一般社団法人ヨコハマNOW (2015年5月10日). 2019年3月4日閲覧。
- ^ “No.352 12月17日(月)市民の財布を守った都南”. YOKOHAMA xy通信 (2012年12月17日). 2019年3月4日閲覧。
- ^ “横浜銀行店舗写真館”. 横浜銀行. 2019年3月4日閲覧。
- ^ “占領下の米軍施設1” (PDF). 横浜市史資料室. 2019年3月4日閲覧。
- ^ 『横浜支店 移転新装オープンについて』(プレスリリース)静岡中央銀行、2005年4月26日 。2019年3月4日閲覧。
- ^ “横浜八十八 吉田町店”. 2019年3月4日閲覧。
- ^ “大盛況のうちに幕を閉じた「関内外OPEN!5」”. 創造都市横浜 (2013年11月8日). 2019年3月4日閲覧。