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諫鼓鶏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
諫鼓から転送)
諫鼓鶏の絵
神田祭山車

諫鼓鶏(かんこどり[1]表記ゆれ: 諌鼓鶏諫鼓鳥諌鼓鳥)とは、日本画伝統工芸の題材で、太平の世の象徴とされる、太鼓に乗ったを指す。古代中国諫鼓(かんこ)の伝説に由来する[1]

概要

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伝説によれば、古代中国の名君である禹王(一説には堯王舜王・禹王の三人)は、朝廷の門外にを設置し、王に諫言したい民がいれば鳴らさせた[2][3][4]

この「諫鼓」の伝説は『管子』『漢書』『文選』『群書治要』など多くの漢籍に記されている[3]

日本では、平安時代には既に諫鼓の伝説が知られていた[3]。ここから派生して「諫鼓が鳴らないほど太平の世には、諫鼓に鶏が乗っている」という「諫鼓鶏」の概念が生まれた。古くは『和漢朗詠集』に以下の詩句がある[3][5][6]

刑鞭蒲朽螢空去けいべんかまくちてほたるむなしくさんぬ 諫鼓苔深鳥不驚かんここけふかうしてとりおどろかず
和漢朗詠集』巻下・帝王・663

江戸時代には、二代将軍徳川秀忠が、江戸日枝神社山王祭で、先頭の山車に使われていた御幣猿(ごへいざる)を諫鼓鶏に改めさせたとされる[1]。現代でも、山王祭・神田祭とちぎ秋まつり城端曳山祭村上大祭などに、諫鼓鶏の山車がある。

からくり師の竹田近江の代表作に、諫鼓鶏を模した「諫鼓太平楽」があった[7]

郷土玩具には、小さな太鼓・風ぐるま竹笛からなる「諫鼓」という玩具がある[2]

日本各地の民俗舞踊に「諫鼓踊」(諫鼓の舞)があるが、これは「羯鼓」が語源とされる[8]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ a b c 諫鼓鶏”. 東京都神社庁 (2017年1月1日). 2024年1月21日閲覧。
  2. ^ a b 諫鼓』 - コトバンク
  3. ^ a b c d 泉紀子「「諌鼓」小考」『和漢比較文学』第8号、和漢比較文学会、47-60頁、1991年https://dl.ndl.go.jp/pid/4426309/1/25 
  4. ^ 賴鈺菁『幕末・明治初期における「諫言」の変遷と終焉 : 下級武士の忠誠観を中心に』名古屋大学 博士論文、2013年。 NAID 500000730393http://hdl.handle.net/2237/18341 1f頁。
  5. ^ 諫鼓苔深く鳥驚かぬ』 - コトバンク
  6. ^ ウィキソースには、和漢朗詠集の原文があります。
  7. ^ 山田和人「『竹田大からくり双六』について : からくり研究資料としての絵双六」『人文學』第154号、同志社大学人文学会、1993年https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000003009 30f頁。
  8. ^ 中西智子「かんこ踊りの研究(I) : かんこ踊りの文化的背景」『三重大学教育学部研究紀要. 教育科学』第52号、三重大学教育学部、2001年http://hdl.handle.net/10076/4590 151f頁。