西観音町停留場
西観音町停留場 | |
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停留場を西から望む | |
にしかんおんまち Nishi-kan-on-machi | |
◄M16 観音町 (0.3 km) (0.3 km) 福島町 M18► | |
所在地 | 広島市西区西観音町 |
駅番号 | ●M17 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 4.5 km(広島駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,304[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)9月1日 |
西観音町停留場(にしかんおんまちていりゅうじょう、西観音町電停)は、広島市西区西観音町にある広島電鉄本線の路面電車停留場である。駅番号はM17。
なお、ここでは当停留場が開業する前に存在していた都町停留場(みやこまちていりゅうじょう)についても取り扱う。
歴史
[編集]西観音町停留場は1964年(昭和39年)、本線の天満町 - 己斐間の軌道が平和大通り上の新線に移設された際に開業した[2]。開業日である9月1日は下り線が新線に移設された日で[3]、上り線は6日後の9月7日に移設されている[2]。
軌道が新線に移設し西観音町停留場が開設される前、旧線の天満町 - 福島町間には都町停留場が存在した[2]。この停留場は1960年(昭和35年)に福島病院前停留場(ふくしまびょういんまえていりゅうじょう)として開業、都町停留場に改称されたのは2年後の1962年(昭和37年)のことである[3]。停留場が置かれた場所は太田川放水路の造成工事の一環で誕生した埋め立て地で、かつては福島川が流れており、本線は軌道専用橋にて渡河していた[2]。都町停留場は天満町 - 己斐間の軌道が上下とも新線に移設した1964年(昭和39年)9月7日をもって廃止されている[2]。
年表
[編集]- 1960年(昭和35年)2月10日:旧線上に福島病院前停留場が開業[3]。
- 1962年(昭和37年)2月12日:都町停留場に改称[3]。
- 1964年(昭和39年)
- 1979年(昭和54年)5月11日:安全柵が設置される[4]。
停留場構造
[編集]本線はほぼすべての区間で軌道が道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で上下2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置されている[5][6](相対式ホーム)。線路の北側に広島駅方面の上りホーム、南側に広電西広島駅方面の下りホームがある[5]。
1979年(昭和54年)には乗り場の安全性を確保するため、安全柵の設置が行われた[4]。上屋は単車が停車したときの乗車口あたりにしかない。
運行系統
[編集]本線には広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れているが、当停留場にはこのうち2号線、3号線、それに0号線が乗り入れる。
上りホーム | 広島駅ゆき | ||
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日赤病院前ゆき | |||
広電本社前ゆき | |||
下りホーム | 広電宮島口ゆき | ||
広電西広島ゆき |
停留場周辺
[編集]停留場は平和大通り上に位置する。通りに面してビルや店舗も点在するが、周辺はおおむね住宅街となっている。南西には広島工業大学専門学校が立地する[5]。
- 広島中央保健生活協同組合総合病院福島生協病院
- 広島市西消防署
また、現在の本線は当停留場を出ると広島駅方面に向けて北に左折するが、平和大通りを東へ向かって直進する新路線を敷設する構想がある。
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e 『広電が走る街 今昔』62-65頁
- ^ a b c d e f 『広電が走る街 今昔』150-157頁
- ^ a b 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年、233・438頁頁。
- ^ a b c 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、12・77-78頁頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103-104頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
参考文献
[編集]- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 西観音町 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄