願興寺 (岐阜県御嵩町)
願興寺 | |
---|---|
所在地 | 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1377-1 |
位置 | 北緯35度25分49.5秒 東経137度7分44.0秒 / 北緯35.430417度 東経137.128889度座標: 北緯35度25分49.5秒 東経137度7分44.0秒 / 北緯35.430417度 東経137.128889度 |
山号 | 大寺山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 伝・弘仁6年(815年) |
開基 | 伝・最澄 |
中興年 | 天正9年(1581年) |
中興 | 近在の農民の寄進 |
別称 | 蟹薬師・可児大寺 |
札所等 | 中部四十九薬師霊場四十九番 |
文化財 |
本堂、木造薬師如来及び両脇侍像ほか(重要文化財) 願興寺鐘楼門、鰐口、大般若波羅蜜多経600巻(県文化財) 絵馬群、木造恵比寿(夷)立像ほか(町文化財) |
法人番号 | 5200005006991 |
願興寺(がんこうじ)は、岐阜県可児郡御嵩町にある天台宗の寺院。通称は蟹薬師・可児大寺。 山号は大寺山 中部四十九薬師霊場第四十九番
歴史
[編集]寺伝によれば、弘仁6年(815年)、天台宗の祖の最澄(伝教大師)が[1]、東国巡錫の折に、この地を通った際に、疫病に苦しむ者が多いことを憐み、この地に布施屋(施楽院)を開創し[1]、薬師如来像を祀ったのが起源とされるが、
境内からは最澄の時代より百年以上前の白鳳期の古瓦が出土しており、古代創建の前身寺院(願興寺廃寺)が存在したことが確認されている[2]。
また伝承によれば、正暦4年(993年)に、一条天皇の皇女とされる行智尼が、隣郷の正寶庵で髪を下ろして尼となり薬師如来を礼拝されておられた。
長徳2年(996年)、庵の西南にある池が金色を放ち、俄に風雨が激しくなり数千の小蟹の背に乗った薬師如来像が現出したという。
それ以来、蟹薬師とも可児大寺とも呼ばれるようになった。
この奇瑞を聞いた一条天皇の勅願により、長徳4年(998年)に伽藍が整備されたという[3]。
文治3年(1187年)、纐纈源吾盛康が、この地の地頭となって庇護を受け、正治元年(1199年)に再興された。
その子の纐纈康能が、釈迦三尊・四天王・十二神将を安置したことが、釈迦如来像の銘文に「寛元二年[4]申辰五月廿三日造立之、佛師僧覚俊、勧進上人観西、大檀那源康能 泰氏少佛師定朝」と記されていることから分かる。
また康能は、四方別当の良心に大般若波羅蜜多経600巻を、法弟の良全と共に、
天福元年(1233年)4月より書写を始め、4年3ヶ月を経て、嘉禎3年(1237年)6月に終わっている。
元亀3年(1572年)7月4日、武田氏の重臣であった秋山虎繁の軍勢が可児郡に押し寄せ願興寺に放火したため全焼、消失した[5]。
この時に、愚渓寺四世の三芝等惟は衆徒をニ十~三十人引き連れて願興寺に赴き、本尊や諸尊、創建以来の古文書を運び出した。
その中で大力の僧は、四天王の尊像を一人で担ぎ出し、愚渓寺の西の山に運び草庵を造って安置したが、その址は愚渓寺山にあって薬師堂と呼ばれている。
2度目の焼失後の天正3年(1575年)与次郎という百姓の発起により再興に取りかかったが、工事の最後には力尽き屋根は板葺きで、とりあえず諸仏を入れ、体裁を整えたという相当の困難が伴ったようであるが、天正9年(1581年)に再興された。
地方の寺院としては大きな本堂は、柱が48本あるためいろは造りと呼ばれている。周囲には建具も壁も無く厨子が見える。
これは有力な施主が居らず、近郷の農民衆の寄進を合わせて工事が行われたためで、建造費の調達不足によるものであろう。大工も地の者を使ったようで粗放な感も否めないが、当時の工事の生々しさが伝わってくる。
天台寺院と真言寺院が融合されたような造りで、当時台頭していた新仏教が旧宗派に影響を与えたものではないかと言われている。
広い回廊は中山道を旅する人々に夜露を凌げる場所を提供したと思われる。
また、笹の才蔵と呼ばれた可児吉長が幼少期を過ごしたと伝わる。
文化財
[編集]- 願興寺本堂 - 天正9年(1581年)建立
- 木造薬師如来及び両脇侍像
- 木造阿弥陀如来立像
- 木造阿弥陀如来坐像
- 木造釈迦如来及び両脇侍像 - 木造。漆箔、玉眼。寛元2年(1244年)に制作された鎌倉時代前期の基準作[6][7]。
- 木造四天王立像
- 木造十二神将立像
- 岐阜県指定重要文化財
- 御嵩町指定重要文化財
- 木造恵比寿(夷)立像[8]
- 長岡十一面観音像[8]
- 瓦(願興寺出土軒丸瓦)[8]
- 願興寺梵鐘[8]
- 大久保石見守寺領安堵状[8]
- 徳川義直寺領安堵黒印状[8]
- 検地に関する折紙[8]
- 森忠政寺領安堵状[8]
- 薬師御宝前[8]
行事
[編集]所在地
[編集]交通アクセス
[編集]参考文献
[編集]- 『御嵩町史 通史編 上』 中世 第一章 中世の御嵩 三 願興寺とその他の寺院 p247~p250 御嵩町史編さん室 1992年
- 『瑞浪市史 歴史編』 第三編 古代(ニ) 第二章 東山道と瑞浪 第三節 古代の宗教 ニ 桜堂薬師と可児薬師 p218~p224 瑞浪市 昭和49年(1974年)
- 『岐阜県百寺』 願興寺 p164~p167 郷土出版社 1987年
外部リンク
[編集]- 願興寺(古寺散策らくがき庵) - ウェイバックマシン(2003年11月30日アーカイブ分)
- 御嵩町サイト(文化財一覧PDF)
- 願興寺公式サイト
脚注
[編集]- ^ a b c d 遠藤康訓 (2014年11月29日). “ひと月早い除夜の鐘 あす御嵩の願興寺 鐘楼門補修で”. 中日新聞 (中日新聞社)
- ^ 岐阜女子大学デジタルミュージアム 中山道みたけ館
- ^ 『日本歴史地名大系 岐阜県の地名』(平凡社、1989)、p.743
- ^ 1244年
- ^ 新撰美濃誌・願興寺畧記
- ^ 塩澤寛樹 「美濃・願興寺の阿弥陀如来坐像および釈迦三尊像について」『仏教藝術』263号、毎日新聞社、2002年。
- ^ 高梨純次 「願興寺蔵 木造釈迦如来 および両脇侍像」『国華』第1438号、2015年8月20日、国華社、pp.49-52、ISBN 978-4-02-291438-5。
- ^ a b c d e f g h i “御嵩町の文化財” (PDF). 御嵩町. 2013年5月19日閲覧。