藤田康邦
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(藤田泰邦から転送)
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 大永2年(1522年)[1] |
死没 | 天文24年8月13日(1555年8月29日)[異説][2] |
改名 | 重利→用土康邦 |
別名 | 小三郎、泰邦、安国 |
官位 | 右衛門佐 |
主君 | 上杉憲政→北条氏康 |
氏族 | 藤田氏→用土氏 |
子 |
大福御前(北条氏邦正室)、用土重連、 信吉? 養子:北条氏邦 |
藤田 康邦(ふじた やすくに)は、戦国時代の武将。山内上杉家、後北条氏の家臣。
略歴
[編集]当初は山内上杉家に仕え、天神山城を守っていたが、天文15年(1546年)の河越城の戦いの後、北条氏康の攻撃を受けて降伏し、その家臣となった。このとき、氏康の四男[3]・乙千代丸(氏邦)を幼少から養子として育て、娘の大福御前を娶らせて藤田氏の家督を譲っている。そして自らは用土城に居城を移し、用土氏を称した。名を重利から康邦[4]に改めたのもこの頃とされる。
ただし、以上の事蹟については異説も多く存在し、生没年など康邦の実像は解明されていない部分も多い。
康邦の子には用土重連や藤田信吉[5]がいたが、彼らは北条氏にとっては邪魔な存在であり、重連は沼田城代に任じられたものの氏邦に毒殺され、信吉は武田勝頼に寝返っている。