藤沢衛彦
表示
(藤沢紫浪から転送)
藤沢 衛彦(ふじさわ もりひこ、1885年8月2日 - 1967年5月7日)は、日本の小説家、民俗学者、児童文学研究者。
藤澤の表記もある。
略歴
[編集]明治18年(1885年)8月2日、東京生(埼玉県、福島県の説もあり)[1]。
1907年明治大学卒業、藤沢 紫浪の筆名で通俗小説などを刊行する。 1914年日本伝説学会を設立し[1]、1917年から『日本伝説叢書』13巻を編纂、1921年より『日本歌謡叢書』を編纂、1926年から1927年まで雑誌『伝説』を刊行。
1922年、日本童話学会を創設[2]。1926年童話作家協会、日本風俗史研究会を設立[2]。
1932年より明治大学に新設された専門部文科で教授に就き、風俗史・伝説学などを講じた[3]。1946年社会科、新聞科専任となり、1958年定年退職[2]。また1946年日本児童文学者協会創立に参画し、57~61年会長[2]。
著書、編纂多数。江戸時代の絵入り童話本や風俗資料の蒐集家としても著名[2]。
主な経歴に日本児童文学者協会会長(1957年12月~1961年4月)、日本風俗史学会理事長など。
つげ義春へのインタビューによると、水木しげるが「妖怪文化」に熱中しはじめるのは、1966年ごろ水木プロでアシスタントをしていたつげが、水木に貸した「藤沢衛彦の民間信仰の研究書」に水木が感激したことがきっかけだという[4]。同インタビューではつげと水木の二人で、当時、藤沢衛彦の経堂の自宅を訪問したこともあったという。
著書
[編集]紫浪名義
[編集]- 『少女フラレット 東欧戦記』(統文館) 1912
- 『女公爵ソニヤ 露国間牒』(統文館) 1912
- 『神出鬼没Z組ジゴマ 名探偵ニックカーター』(自省堂) 1912
- 『現代式 男と女の手紙』(自省堂) 1913
衛彦名義
[編集]- 『閣老 安藤対馬守』(平陽社) 1914
- 『流行唄変遷史』(有隣洞書屋) 1914
- 『流行唄と小唄』(平和出版社) 1916
- 『江戸伝説叢書』1 - 5編(啓文館) 1919
- 『小唄伝説集』(実業之日本社) 1920
- 『動物画噺』(石川千代松共著、丸善) 1921
- 『童話の国 伝説お伽』(成象堂) 1924
- 『日本民謡史』(雄山閣) 1925
- 『日本伝説研究』全2巻(大鐙閣) 1922 - 1925
- 『変態伝説史』(文芸資料研究会) 1926
- 『趣味の旅 伝説をたづねて』(博文館) 1927
- 『明治風俗史』(春陽堂) 1929
- 『明治流行歌史』(春陽堂) 1929
- 『日本伝説研究』第3 - 6巻(六文館) 1931 - 1932
- 『日本民謡研究』(六文館) 1932
- 『鳥の生活と談叢』(啓松堂) 1933
- 『日本艶歌考』(啓松堂) 1933
- 『日本民謡の流』(東明堂) 1934
- 『印度の伝説』(天佑書房) 1942
- 『和氣清麻呂公』(正芽社) 1943
- 『妖術者の群』(南薫書院) 1947
- 『流行歌百年史』(第一出版社) 1951
- 『日本刑罰風俗図史』上・中・下(伊藤晴雨画、粋古堂) 1948 - 1951
- 『日本民族伝説全集』第1 - 9巻・別巻(河出書房) 1955 - 1956
- 『図説 日本民俗学全集』第1 - 8(あかね書房) 1959 - 1961
- 『日本性風俗誌』(雄山閣出版) 1963
- 『こども動物風土記』1 - 5(国土社) 1967
翻訳
[編集]紫浪名義
[編集]- 『策ある妻』(アウグスト・ストリンドベルヒ、隆成堂) 1914
- 『千年の罠』(グゥイ・ソーン、啓文館) 1920
衛彦名義
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 竹長吉正「霜田史光研究落穂拾い(その3)」『白鴎大学論集』第30巻第2号、白鴎大学経営学部、2016年3月、2頁、ISSN 0913-7661、CRID 1050845762732925312。
- ^ a b c d e 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第二巻 史料編Ⅱ、1988年、507-510頁
- ^ つげ義春『つげ義春が語る 旅と隠遁』(筑摩書房)P.318