藤森商会 (帯広市)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒080-0012 北海道帯広市西2条南11丁目8番地 |
設立 |
1956年(法人化) 1899年(創業) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 3460101001501 |
事業内容 | 飲食店経営 |
代表者 | 代表取締役 藤森裕康 |
資本金 | 2000万円 |
売上高 | 12億6666万円(2022年2月期) |
従業員数 | 228名(パート・アルバイト含む) |
支店舗数 | 13店舗(ご宴会・お食事のふじもり:1店舗,カレーショップインデアン:12店舗、2015年10月)[1] |
関係する人物 | 藤森熊作(創業者) |
外部リンク | http://www.fujimori-kk.co.jp |
株式会社藤森商会(ふじもりしょうかい)は、北海道帯広市に本社を置き、帯広市を中心に「カレーショップインデアン」などを展開している、外食産業の企業[2]。
沿革
[編集]長野県出身の藤森熊作(1864年 - 1935年)が、1898年に当時の下帯広村へ到着し、1899年から養蚕、製材などの事業を興した[3]。しかし、洪水被害で木材関係の事業を断念し、饅頭の製造販売に転じたのが、飲食業のきっかけとなった[1]。1905年に鉄道(後の根室本線)が釧路から帯広まで達すると、藤森は駅構内での「待合所」と「駅売り」の営業を申請し、1906年に藤森待合所の営業を始めた[3]。1924年に事業は2代目の藤森茂登恵に引き継がれ[2]、その後1930年に待合所を藤森食堂と改め、急成長を遂げたが、1945年には北海道空襲などのためにいったん廃業となった[3]。
第二次世界大戦後は、1946年に、帯広駅前で藤森食堂を再開した[3]。1956年には有限会社藤森商会として法人化され[4]、1961年には3代目の藤森照雄(1930年 - 2010年)が社長となった[3]。照雄は新たな事業としてカレー専門店の開業を着想し、2年ほどの準備を経て、1968年に「インデアン」の最初の店舗を開店した[3][4]。
1974年には、ファミリーレストラン「こんにちは」を開店し、一時期は3店舗を運営したが、1996年ころまでにいずれも閉店し、この事業からは撤退した[3]。この間、1978年にはふじもり本店ビルが建てられ、1997年には有限会社から株式会社へ移行した[4]。
2006年には、創業者の曽孫にあたる、4代目の藤森裕康(1961年 - )が社長となった[1]。
カレーショップ インデアン
[編集]ほとんどの店舗の造りは、カウンター席が中心となっており、カレーの注文から提供まで時間をかけない[5]。また、鍋を持参してルーだけを買って持ち帰ることができる[5]。
1968年以降、「インデアン」は順調に店舗を増やし、それとともに、1988年には最初のセントラルキッチンを稼働させ、以降、1994年と2011年に、それぞれ新たなセントラルキッチンを設けている[4]。
2005年時点で帯広周辺と釧路に9店を構え、合わせて年間およそ130万食を売り上げ[5]、2010年時点では11店を構え、年間150万食を売り上げていた[3]。
2023年には、長崎屋店(2024年1月閉店)を皮切りに冷凍カレーの販売を開始する[6]。
2024年3月現在、帯広市、音更町、幕別町、芽室町、釧路市で、合わせて13店舗が営業している[4][7]。
- 帯広市:西21条店(1989年開店)、みなみ野店(2000年)、西18条店(2002年)、まちなか店(2009年)、MEGAドン・キホーテ西帯広店(2009年)、東5条店(2016年)、エスタ帯広店(2024年)
- 音更町:音更店(1994年)、なつぞら店(2024年)
- 幕別町:札内店(1993年)
- 芽室町:芽室店(2007年)
- 釧路市:釧路愛国店(2004年)、釧路あさひ町店(2011年)
脚注
[編集]- ^ a b c 「おびしん地域経営塾 志信会 ガチリレーTALK / 第2回 株式会社藤森商会 代表取締役社長 藤森 裕康氏」(PDF)『ネクストウエーブ』第105号、帯広信用金庫地域経済振興部、2015年、2-4頁、2016年3月6日閲覧。
- ^ a b “ふじもりの歴史”. 藤森商会. 2016年3月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 田中義信 (2010年10月6日). “(百年企業@北海道)藤森商会 飽きぬ「2番目の味」追求”. 朝日新聞・朝刊・北海道: p. 28. "JR帯広駅前にある老舗(しにせ)レストラン「ふじもり」。… 創業者の藤森熊作氏(1864〜1935年)の出身地は長野県。1898(明治31)年、下帯広村(現在の帯広市)にやってきて、製材販売や建設業、養蚕や蚕糸などの事業を始めた。釧路―帯広間に1905(明治38)年、鉄道が開通し、旧帯広駅が開業した。熊作氏は駅構内に「待合所」と「駅売り」の営業を申請。翌06年、木造柾葺(まさぶ)き2階建ての藤森待合所が完成した。… 藤森待合所は30年に藤森食堂となり、急成長を遂げた。空襲などにより、45年にいったん廃業したが、翌46年、駅前で藤森食堂を再開。61年、31歳で3代目社長となった照雄氏(1930〜2010)は事業拡大に意欲を見せ … カレー専門店を思い立った。… 68年、カレーショップ「インデアン」1号店を開いた。… そのインデアンは現在、十勝と釧路に計11店。全店で年間約150万食を売り上げるほどになった。… 74年にはファミリーレストラン「こんにちは」を開店。その後、2店増やしたが、… 96年ごろまでに撤退した。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c d e “会社概要・沿革”. 藤森商会. 2016年3月6日閲覧。
- ^ a b c “(帯広 土の恵み:3 北街道)名物カレー 地産地消で年間130万食”. 朝日新聞・朝刊・北海道: p. 24. (2005年10月24日). "年間130万食。1食399円だが本格カレー。十勝の人が年に4皿食べていることになる名物が「インデアン」のカレーだ。豚丼と並ぶ帯広の味かもしれない。注文から出てくるまでが早い。基本はカウンターが中心の店の造りになっている。「3人前、ルーで」などと、鍋を持ってきて買うことができるのも特徴だ。帯広市を中心に9店舗の直営店だ。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “令和5年10月 冷凍カレー販売開始のお知らせ”. 藤森商会. 2024年8月24日閲覧。
- ^ “店舗情報”. 藤森商会. 2024年8月24日閲覧。:このほか、1号店など、既に閉店している店舗もある。
外部リンク
[編集]- 北海道・帯広の家庭から自炊カレーを消した、恐るべきインデアン一族 - マイナビニュース
- 帯広へ行ったら「インデアン」のカレー! - 北海道Likers(サッポロビール)