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日野 輝子(ひの てるこ、天正9年(1581年)- 慶長12年5月20日(1607年7月13日))は、安土桃山時代の女官。女房名は藤大典侍局(とうのおおすけのつぼね)。権大納言日野輝資の女。慶長7年(1602年)に尊性入道親王を生む[1][2]。慶長12年死去、享年27[2][3]。墓所は京都府京都市の百萬遍知恩寺。
- ^ 「日野輝子」、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク(2022年8月10日閲覧)
- ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社)
- ^ 「日本女性人名辞典」(日本図書センター、1993年)