藍原秀氏
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正17年(1589年) |
別名 | 泰理[1] |
官位 | 大和守[1] |
主君 | 本間高統 |
氏族 | 藍原氏 |
藍原 秀氏(あいはら ひでうじ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。本間高統の家臣[1]。佐渡国加茂郡吉井城主[1]。
経歴
[編集]郡内で1,250石を領す[注釈 1][1]。天正17年(1589年)河原田城の戦いでは本間高統に仕え、渋谷真住らと共に戦うが、直江兼続勢の奇襲により討死した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 吉井本郷、青木、船津、三瀬川、下横山、安養寺、横谷、上横山、潟端、立野、籠米、青龍寺、中島、畑屋、馬場、水渡田など