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葺合区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葺合村から転送)
ふきあいく
葺合区
廃止日 1980年12月1日
廃止理由 新設合併
葺合区生田区中央区
現在の行政区 中央区
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
神戸市
団体コード 28103-4
面積 9.92km2.
総人口 63,516
国勢調査、1980年)
隣接自治体
隣接行政区
神戸市(灘区生田区北区
葺合区役所
所在地 651
兵庫県神戸市葺合区旗塚通四丁目1番1号
ウィキプロジェクト

葺合区(ふきあいく)は、かつて神戸市に存在した行政区。現在の中央区東部にあたる。郵便番号は651。

生田川、すなわちフラワーロードを境にJR三ノ宮駅などのある東側が旧葺合区の区域である。ただし、ポートアイランドは全域が飛地として生田区に属していた。また現在の中央区生田町は、生田区ではなく当区に所在した。

地名としての「葺合区」は、1896年(明治29年)に神戸市に6区が設置された際に始まる。当時は行政区ではなく地域名という扱いであったが、1931年(昭和6年)に区域はそのままに行政区となった。1980年(昭和55年)の区域再編により、生田区と合区され中央区となり消滅した。区の消滅後も葺合町の地名が中央区に残る。

なお、地名として「区」が付されている事例は、2014年時点では新潟県上越市頸城区兵庫県姫路市飾磨区などがある。

歴史

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  • 1876年明治9年)2月15日 菟原郡中尾村・熊内村・滝寺村・生田村・小野新田村・中村・脇浜村が合併して葺合村となる。
  • 1887年(明治20年)10月5日 菟原郡筒井村を葺合村に合併。
  • 1889年(明治22年)4月1日 菟原郡葺合村・神戸区・八部郡荒田村が合併して神戸市となる。
  • 1898年(明治31年)6月 - 1907年(明治40年)4月 葺合地域において新道開鑿事業施行[1]
    • 葺合第1工区(東海道本線以北・新生田川以西):1898年(明治31年)6月 - 1900年(明治33年)8月
    • 葺合第2工区(東海道本線以南・新生田川以東・春日野道以西):1900年(明治33年)2月 - 1902年(明治35年)2月
    • 葺合第3工区(東海道本線以南・春日野道以東):1902年(明治35年)12月 - 1907年(明治40年)4月
    • 葺合第4工区(東海道本線以北・熊内橋通以南・新生田川以東・春日野道以西):1901年(明治34年)7月 - 1903年(明治36年)1月
    • 葺合第4工区附属工区(熊内橋通以北の一部):1904年(明治37年)4月 - 1906年(明治39年)3月
  • 1911年(明治44年)3月 新道開鑿事業を予定していた葺合第5工区(東海道本線以北・春日野道以東)に新耕地整理法による耕地整理組合が認可[1]
  • 1931年昭和6年)9月1日 神戸市での区制施行により、旧・葺合村域に葺合区を設置。
  • 1935年(昭和10年)8月29日 集中豪雨により芋川谷で土砂災害が発生。山腹崩壊で民家15戸が倒壊して19人死亡、負傷者多数[2]
  • 1967年(昭和42年)7月9日 集中豪雨により葺合町市ケ原一帯で山津波(土石流)が発生。市ケ原駐在所を含む17棟が全半壊、死者・行方不明者21人[3]
  • 1976年(昭和51年)3月8日 脇浜町のバラック住宅密集地で火事。210m2の一区画33棟89戸が焼失、約100世帯、200人以上が焼け出された[4]
  • 1980年(昭和55年)12月1日 葺合区と生田区合区により中央区を設置。同日付で葺合区を廃止。

人口

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  • 1935年 124,556
  • 1940年 123,846
  • 1945年  17,914
  • 1947年  35,508
  • 1950年  54,026
  • 1955年  74,559
  • 1960年  93,346
  • 1965年  94,897
  • 1970年  84,890
  • 1975年  73,415
  • 1980年  63,516

地域

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葺合区消滅後も、市内には「葺合」の地名を冠する施設などがある。

交通

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1980年の合区直前の時点で現存したもの。神戸市営地下鉄神戸新交通ポートアイランド線は未開業。

鉄道
道路

出身・ゆかりの人物

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脚注

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  1. ^ a b 小原啓司『明治期の神戸における市街地整備の事業手法の研究』土木史研究第17号”. 公益社団法人 土木学会 (1997年). 2023年10月17日閲覧。
  2. ^ 「神戸で山津波、阪神国道にまた濁流」『大阪毎日新聞』昭和10年8月30日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編、pp.210-211、毎日コミュニケーションズ、1994年刊行)
  3. ^ 「あぶない市街地のガケ 豪雨禍、盲点を明るみに 実態調査を急ぐ」『朝日新聞』昭和42年7月10日夕刊、3版、11面
  4. ^ 「住宅密集地で大火 百世帯ひとなめ」『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月8日夕刊、3版、9面

関連項目

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外部リンク

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