荒浜町
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(荒浜 (亘理町)から転送)
あらはままち 荒浜町 | |
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廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 荒浜町、亘理町、吉田村、逢隈村 → 亘理町 |
現在の自治体 | 亘理町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 亘理郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.62 km2. |
総人口 |
5,894人 (『亘理町史』下巻、1955年1月31日) |
隣接自治体 |
亘理郡:吉田村、逢隈村 名取郡:玉浦村 |
荒浜町役場 | |
所在地 | 宮城県亘理郡荒浜町字隈潟165 |
座標 | 北緯38度02分52秒 東経140度54分36秒 / 北緯38.04764度 東経140.90989度座標: 北緯38度02分52秒 東経140度54分36秒 / 北緯38.04764度 東経140.90989度 |
ウィキプロジェクト |
荒浜町(あらはままち)は、昭和30年(1955年)まで宮城県亘理郡の東部にあった町。現在の亘理郡亘理町荒浜地区にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、高須賀村の区域をもって、荒浜村が発足する。
- 昭和18年(1943年)4月29日 - 町制施行し、荒浜町となる。
- 昭和30年(1955年)2月1日 - 荒浜町、亘理町、吉田村及び逢隈村が合併し、亘理町が発足する。
行政
[編集]首長
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 齋藤定一 | 明治22年(1889年)4月 | 明治31年(1898年)3月 | |
2 | 横山長吉 | 明治31年(1898年)4月 | 大正7年(1918年)3月 | |
3 | 江戸清吉 | 大正7年(1918年)5月 | 大正8年(1919年)1月 | |
4 | 齋藤克昌 | 大正9年(1920年)5月 | 大正12年(1923年)3月 | |
5 | 宍戸周次郎 | 大正12年(1923年)6月 | 昭和14年(1939年)6月 | |
6 | 佐々木義雄 | 昭和14年(1939年)8月 | 昭和18年(1943年)4月28日 |
- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 佐々木義雄 | 昭和18年(1943年)4月29日 | 昭和18年(1943年)8月 | 村長より留任 |
2 | 阿部亀吉 | 昭和18年(1943年)8月 | 昭和21年(1946年)11月 | |
3 | 菊地喜四郎 | 昭和22年(1947年)5月4日 | 昭和30年(1955年)1月31日 |
地域
[編集]人口
[編集]1920年 | 3,154人 | |
1925年 | 3,363人 | |
1930年 | 3,734人 | |
1935年 | 4,021人 | |
1940年 | 3,967人 | |
1947年 | 5,427人 | |
1950年 | 5,760人 |
※国勢調査による
教育
[編集]- 荒浜町立荒浜小学校
- 荒浜町立荒浜中学校
産業
[編集]北西部では農業、南東部では漁業が主要産業であった。
特産物は阿武隈川を溯上するサケで、明治末期には年85tもの漁獲高があり、薄塩にした生鮭が盛んに贈答品に用いられたという。合併直前期の昭和28年(1953年)の統計によれば、漁業売上高は6,238万6千円で、主な漁獲品目としてカレイ・ヒラメ・カナガシラ・アナゴ・メロウド・タコが挙げられており、これに加えて牡蠣・海苔・ナマコの養殖が行われていた。
旧荒浜漁港(荒浜湊)は阿武隈川河口部の南岸に位置していたが、のちに鳥の海北岸へと移転している(移転後の新荒浜漁港(荒浜築港)については鳥の海の項を参照のこと)。
参考文献
[編集]- 『亘理町史』下巻(宮城県亘理郡亘理町、1977年)