大分県立芸術緑丘高等学校
表示
(芸術緑丘高等学校から転送)
大分県立芸術緑丘高等学校 | |
---|---|
大分県立芸術緑丘高等学校(奥) 手前は大分県立芸術文化短期大学人文棟 | |
北緯33度13分25.9秒 東経131度36分58秒 / 北緯33.223861度 東経131.61611度座標: 北緯33度13分25.9秒 東経131度36分58秒 / 北緯33.223861度 東経131.61611度 | |
過去の名称 |
大分県立別府第二高等学校 大分県立別府緑丘高等学校 大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校 大分県立芸術文化短期大学附属緑丘高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
校訓 | 自律・恕思・創造 |
設立年月日 | 1948年(昭和23年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 音楽科・美術科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000111 |
高校コード | 44110E |
所在地 | 〒870-0833 |
大分県大分市上野丘東1-11 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立芸術緑丘高等学校(おおいたけんりつ げいじゅつみどりがおかこうとうがっこう)は、大分県大分市上野丘東にある音楽・美術の専門教育を目的とする高等学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1948年(昭和23年)4月の学制改革により発足した「大分県立別府第二高等学校」を前身とする。当初より音楽・芸術の専門教育を目的に設立された。校舎は開校当初別府市にあったが、1980年(昭和55年)に現校地の大分市に移転。1965年(昭和40年)4月から2005年(平成17年)3月までの40年間は大分県立芸術文化短期大学の附属高校であった。2008年(平成20年)に創立60周年をむかえた。
- 美術科と音楽科のみの公立高校。
- 校訓
- 「自律・恕思(じょし)・創造」
- 卒業後の進路
- 東京藝大・京都市立芸大・愛知県立芸大・国立音大・桐朋学園大・武蔵野音大・多摩美大・武蔵野美大・東京造形大などの芸術系大学や大分大学などの四年制大学が約40%、大分県立芸術文化短期大学をはじめとする短期大学が約50%を占める[1][2]。
沿革
[編集]- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、別府市に「大分県立別府第二高等学校[3]」(新制高等学校)が開校。
- 音楽・芸術・外国語の専門教育を目的としていた。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 商業課程と家庭課程を設置。
- 1951年(昭和26年)
- 3月31日 - 外国語課程を廃止。
- 4月1日 - 「大分県立別府緑丘高等学校」と改称。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 音楽課程・美術課程の専攻科を設置。
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 家庭課程を廃止。
- 1961年(昭和36年)
- 3月31日 - 商業課程を廃止。
- 4月1日 - 大分県立芸術短期大学が開校し、専攻科を移管。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 移管により、「大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校」と改称。
- 1980年(昭和55年)12月 - 大分市(現校地)に移転。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 「大分県立芸術文化短期大学附属緑丘高等学校」と改称。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 「大分県立芸術緑丘高等学校」(現校名)に改称。
著名な出身者
[編集]- 立川清登 - バリトン歌手[4]
- 河村英文 - プロ野球選手(1952年卒)[5][4]
- 稲尾和久 - プロ野球選手(1956年卒)[6][4]
- 大塚博堂 - シンガーソングライター(1963年卒)[7]
- 松下芳夫 - プロ野球選手(1964年卒)
- 錦野旦 - 歌手[8]
- 惣領冬実 - 漫画家(1977年卒)
- 佐藤美枝子 - ソプラノ歌手[9]
- リリー・フランキー - イラストレーター・エッセイスト(1982年卒)[10]
- 石山東吉 - 漫画家
- 池永康晟 - 日本画家(1984年卒)[11]
- 堀貴秀 - 映像作家、アニメーション監督(1990年卒)
- 蓮城まこと - 元宝塚歌劇団雪組男役[12]
- SIX LOUNGE - 日本の3人組ロックバンド
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 中学生の皆さんへ - 大分県立芸術緑丘高等学校
- ^ 主な進学先 - 大分県立芸術緑丘高等学校
- ^ 大分県立別府第一高等学校は現在の大分県立別府鶴見丘高等学校の前身。
- ^ a b c 大分県立芸術緑丘高等学校の歴史 (PDF) 大分県立芸術緑丘高等学校
- ^ 追悼 鉄腕エース稲尾 <22>同じ物差しでは次元が違いすぎた スポニチ九州、2007年12月6日
- ^ 稲尾 和久 日本プロ野球名球会公式ホームページ
- ^ 大塚博堂全科
- ^ にしきのあきらと西鉄・稲尾和久/週べ回顧1972年編 週刊ベースボールONLINE、2020年12月15日
- ^ 世界の歌姫「佐藤美枝子 クリスマス・コンサート」 おおいた文化情報エンジン
- ^ 『東京タワー』の著者、リリー・フランキーさんの特別トークセッションを開催します 大分県立芸術文化短期大学、2007年9月30日
- ^ 池永康晟美人画カレンダー2016 星の消ゆるを待つ 芸術新聞社
- ^ 『宝塚おとめ 2015年度版』宝塚クリエイティブアーツ、2015年、79頁。ISBN 978-4-908135-33-0。