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花園歌子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
花園環枝から転送)

花園 歌子(はなぞの うたこ、1906年1月15日[1][注釈 1]1982年7月4日[2])は、芸妓出身の日本舞踏家著作家[3]。本名は黒瀬 直、のち正岡 直といい、晩年は日本舞踊家として、花園 環伎と名乗った[4]

経歴

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東京生まれ。東京女子薬学校に入学したが、間もなく製薬会社の事務員となり[4]、さらに、社会主義者であった黒瀬春吉が主宰していた劇団に入って、当時目新しかったモダン・ダンスを学び[4]、浅草の踊り子となる[3]。その後、新橋で芸者となり、「モダン芸者」として知られるようになった[3]。新橋では年季が明けても独立せず、「逆七」として置屋に居続けた[5]

1930年に『芸妓通』を出版し、その中で当時の女権論者の代表的存在であった福田英子岩本嘉志子らを論難する大胆な議論を展開した[3]。同書ではまた、芸妓稼業契約や前借金契約についての実態を紹介した[5]。同書については、夫であった黒瀬春吉が書いたものとする説もある[3]

花園は、芸妓関係の書籍等の資料の収集家としても知られ[3]明治文化研究会を通して[4]吉野作造斎藤昌三と親交があり、吉野に一方的な思いを寄せていたともいわれる[3]1941年には、芸能研究家の正岡容と再婚した。

晩年は、日本舞踊花園流初代家元・花園 環伎として活動した[4]。1982年7月4日、千葉市の病院で死去、76歳[6]

おもな著書

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  • 芸妓通、四六書院、1930年
    • 復刻:ゆまに書房(女性のみた近代 : 女性と労働 ; 24)、2004年
  • 女から人間へ : 女性文化研究資料一覧、大沢直、1931年

脚注

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  1. ^ レコード世界社編『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和十五年版』レコード世界社、1940年10月、206頁。 
  2. ^ 「日本古書通信」第47巻第8号(1982年8月)日本古書通信社
  3. ^ a b c d e f g 山口昌男「花園歌子」『異能・偉才100人』朝日新聞〈朝日ワンテーママガジン〉、34-35頁。 
  4. ^ a b c d e “吉野作造講座2005年” (PDF). 吉野作造記念館だより (13): p. 4. (2005年12月1日). http://www.yoshinosakuzou.jp/publish/documents/dayori13-4.PDF 2014年7月6日閲覧。 
  5. ^ a b 松田有紀子「芸妓という労働の再定位 - 労働者の権利を守る諸法をめぐって」『生存学研究センター報告』第17号、立命館大学生存学研究センター、2012年、309-312頁。  NAID 120004140698
  6. ^ 「日本古書通信」第47巻第11号(1982年11月)日本古書通信社

注釈

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  1. ^ 生年月日は明治39年1月15日の他に、明治38年1月15日(大西信行『正岡容―このふしぎな人―』180頁)、明治44年1月15日(近代文献人名辞典(β))とする文献がある。