ゴールド (ディスコ)
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(芝浦ゴールドから転送)
GOLD(ゴールド)は、1989年から1995年にかけて、東京都港区海岸三丁目で営業していた大型ディスコ[1][2]。「クラブ」としても言及される[3]。立地していた海岸三丁目は、行政上の地名の「芝浦」とは、運河を挟んで対岸に位置していたが、芝浦GOLD(しばうらゴールド)と通称され[4]、「芝浦のGOLD」として言及されることがよくあった[5]。
芝浦GOLDの開店は、東京における「クラブシーンの幕開け」とも称される[6]。
倉庫を改装した7階建ての建物で[1]、新宿ツバキハウスの店長などを務めた佐藤俊博によってプロデュースされ[7]、都築響一が空間プロデュースに関わった[4]。それまでニューヨークで活動していた高橋透が開店に合わせて招聘され、メインDJ/サウンドプロデューサーとなり、おもにハウス・ミュージックやガラージ・サウンドをかけた[5][8]。
イベントとしてファッションショーが開催されたり[2]、入店の条件に光るものを身につけることを求める企画なども行われていた[3]。
GOLD閉店後、建物は程なくして解体され、跡地にはマンションが建設された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c “東京ふしぎ探検隊 ジュリアナがアップルの広告拠点に バブル跡を歩く (2/4)”. 日経BP社 (2012年4月6日). 2018年4月22日閲覧。
- ^ a b “[水辺からの報告]倉庫街(下)芝浦 遊び場として脚光 巨大ディスコに行列”. 読売新聞・東京朝刊・都民: p. 27. (1992年5月28日). "港区海岸三丁目で、前衛的なファッションショーなどを開催し、注目されているのがディスコ「GOLD」。" - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b “金銀キラキラ 光りものを楽しむ 金ボタンから靴やバッグも”. 読売新聞・東京朝刊: p. 16. (1991年2月26日). "東京・芝浦のクラブ「ゴールド」では、昨秋から毎月一回、光るものを身に付けることを入場の条件にした夜を設けた。一晩で入場者は約千人という。" - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b “Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM 都築響一さん_Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM_vol.267”. TOKYO FM (2013年5月31日). 2018年4月22日閲覧。
- ^ a b “CDが99% アナログが限りなくゼロに…(リポート・レコード)”. アエラ (朝日新聞社): p. 49. (1990年5月1日). "東京・芝浦の「GOLD」のDJ、高橋透さん(33)は...、" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 宮台真司; 荘口彰久 (1997年4月24日). “[ぽっぷかるちゃ~]クラブ 宮台真司さん/荘口彰久さん (月例講座)”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 9 - 毎索にて閲覧
- ^ “OUTLINE 会社概要”. TABLEBEET. 2018年4月22日閲覧。
- ^ “Tohru Takahashi (高橋透)”. contact. 2018年4月22日閲覧。