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攴胡赤児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
胡赤児から転送)

攴胡赤児(ほくこせきじ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。陳寿三国志』の原文では、「友胡赤児」となっているが、これは誤りである。ただ、盧弼三国志集解』注によると「支胡赤児」との説もある。本記事では多数説に倣い、「攴胡赤児」とする(今鷹真井波律子によるちくま学芸文庫和訳もこれを採用している)。

正史の事跡

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姓名 攴胡赤児
読み・ピンイン ほくこせきじ
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 〔不詳〕
爵位 -
陣営・所属等 牛輔
家族・一族 〔不詳〕

董卓軍の牛輔の側近。名前から判断すると、漢族の人物ではなく、北方諸民族の出身と思われる。『三國志集解』注では「攴胡」が胡族の号で「赤児」が名前である(『晋書』に「攴胡五斗」なる人物がいる)とする説、支を氐の誤記とし(古来「支」と「氐」は同音であり月氐を月支と記す場合もある)氐胡の赤児とする説などがあるが詳細は不明。

普段から牛輔に厚遇されていた。

初平3年(192年)、長安王允呂布らと対峙中、配下の軍勢が混乱し、全軍が反乱を起こしたと思い込んだ。このため牛輔と共にわずか数人で逃亡を図った。しかし、攴胡赤児と他の側近は牛輔が所有していた財宝に眼がくらみ、「城の北に馬がある」と牛輔を騙して、城壁から吊り下ろす際に途中で縄を放し、動けなくなった牛輔を殺害してしまった。また、その首級を手土産に長安を訪れた。その後については記載がない。

物語中の攴胡赤児

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小説『三国志演義』では、「胡赤児」として登場する。その動向は史実と同じだが、最後は牛輔への裏切り行為を呂布に嫌悪され、殺害されている。

参考文献

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