攴胡赤児
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(胡赤児から転送)
攴胡赤児(ほくこせきじ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。陳寿『三国志』の原文では、「友胡赤児」となっているが、これは誤りである。ただ、盧弼『三国志集解』注によると「支胡赤児」との説もある。本記事では多数説に倣い、「攴胡赤児」とする(今鷹真・井波律子によるちくま学芸文庫和訳もこれを採用している)。
正史の事跡
[編集]姓名 | 攴胡赤児 |
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読み・ピンイン | ほくこせきじ |
時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
出身地 | 〔不詳〕 |
職官 | 〔不詳〕 |
爵位 | - |
陣営・所属等 | 牛輔 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
董卓軍の牛輔の側近。名前から判断すると、漢族の人物ではなく、北方諸民族の出身と思われる。『三國志集解』注では「攴胡」が胡族の号で「赤児」が名前である(『晋書』に「攴胡五斗」なる人物がいる)とする説、支を氐の誤記とし(古来「支」と「氐」は同音であり月氐を月支と記す場合もある)氐胡の赤児とする説などがあるが詳細は不明。
普段から牛輔に厚遇されていた。
初平3年(192年)、長安の王允・呂布らと対峙中、配下の軍勢が混乱し、全軍が反乱を起こしたと思い込んだ。このため牛輔と共にわずか数人で逃亡を図った。しかし、攴胡赤児と他の側近は牛輔が所有していた財宝に眼がくらみ、「城の北に馬がある」と牛輔を騙して、城壁から吊り下ろす際に途中で縄を放し、動けなくなった牛輔を殺害してしまった。また、その首級を手土産に長安を訪れた。その後については記載がない。
物語中の攴胡赤児
[編集]小説『三国志演義』では、「胡赤児」として登場する。その動向は史実と同じだが、最後は牛輔への裏切り行為を呂布に嫌悪され、殺害されている。