美は乱調にあり
『美は乱調にあり』 | ||||
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キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1980年6月 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス サウンド・キャッスル・レコーディング・スタジオ | |||
ジャンル | ブルース・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | ヴァージン・レコード | |||
プロデュース | ドン・ヴァン・ヴリート | |||
キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド アルバム 年表 | ||||
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『美は乱調にあり』(Doc at the Radar Station)は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが1980年に発表した通算11作目に相当するアルバムである[注釈 1]。
解説
[編集]経緯
[編集]キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドは1978年6月から8月にかけて前作『シャイニー・ビースト(バット・チェイン・プラー)』(以下、『シャイニー・ビースト』)を製作して秋にアメリカでワーナー・ブラザーズから発表し[1]、11月にはヴァン・ヴリート、ブルース・ファウラー(トロンボーン)、ジェフ・モリス・テッパー(ギター)、エリック・ドリュー・フェルドマン(キーボード)、ロバート・ウイリアムス(ドラムス)、リチャード・レダス(ギター)にファウラーのガールフレンド(パントマイム、マラカス)を加えた顔ぶれで短い国内ツアーを行なった[注釈 2][2]。しかしイギリスではワーナー・ブラザーズとヴァージン・レコードの交渉が難航して[注釈 3]、『シャイニー・ビースト』は翌1979年が終わっても発表されなかった[3]。彼等は1979年には目立った活動を何ら行なわなかったが、ヴァン・ヴリートはDoc at the Rader Station[注釈 4]という新作アルバムを製作する意向を同年秋に示し、年末にゲイリー・ルーカス[注釈 5]を新しいマネージャーに迎えた[4]。
1980年2月、『シャイニー・ビースト』がようやくイギリスでヴァージン・レコードから発表された[5]。新作製作の開始予定日の直前にレダスが脱退したので、彼等はドラマー兼ギタリストのジョン・フレンチを再々度迎えて[注釈 6]、6月の数週間に渡って本作を制作した[6]。
内容
[編集]収録曲のうち、'Flavor Bud Living'、'Brickbats'、'A Carrot Is As Close As A Rabbit Gets To A Diamond'の3曲は、当時未発表だった『バット・チェイン・プラー』の収録曲の再録音版である[7]。
ジャケットの絵は、ヴァン・ヴリートの作品である[8]。
収録曲
[編集]- LP
- CD
全作詞・作曲: Don Van Vliet。 | ||
# | タイトル | 時間 |
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1. | 「Hot Head」 | |
2. | 「Ashtray Heart」 | |
3. | 「A Carrot Is as Close as a Rabbit Gets to a Diamond」 | |
4. | 「Run Paint Run Run」 | |
5. | 「Sue Egypt」 | |
6. | 「Brickbats」 | |
7. | 「Dirty Blue Gene」 | |
8. | 「Best Batch Yet」 | |
9. | 「Telephone」 | |
10. | 「Flavor Bud Living」 | |
11. | 「Sheriff of Hong Kong」 | |
12. | 「Making Love to a Vampire with a Monkey on My Knee」 | |
合計時間: |
参加ミュージシャン
[編集]- Captain Beefheart and The Magic Band
- Captain Beefheart (Don Van Vliet) – ヴォーカル、チャイニーズ・ゴング、ハーモニカ、ソプラノ・サクソフォーン、ベース・クラリネット,
- John French – スライド・ギター、ギター、ベース・ギター(CD #11)、ドラムス(CD #2、11)、マリンバ(CD #12)、ヴォーカル(CD #4、7)
- Jeff Moris Tepper – スライド・ギター、ギター、ナーヴ・ギター、バックグラウンド・ヴォーカル(CD #4)
- Eric Drew Feldman – シンセサイザー、ベース・ギター、メロトロン、グランド・ピアノ、エレクトリック・ピアノ、バックグラウンド・ヴォーカル(CD #4)
- Robert Arthur Williams – ドラムス、バックグラウンド・ヴォーカル(CD #4)
- 客演
- Gary Lucas – ギター(CD #10)、フレンチホルン (CD #8)
- Bruce Lambourne Fowler – トロンボーン(CD #4)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1960年代に発表した3作のアルバムと『ミラー・マン』(1971年)はキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド名義だった。『ミラー・マン』はヒズ・マジック・バンド時代の1967年の未発表音源集。『ザ・スポットライト・キッド』(1972年)はキャプテン・ビーフハート名義だった。
- ^ 同年11月18日にニューヨーク州ロズリンで開かれたコンサートの音源が、2000年にライノ・レコードからI'm Going to Do What I Wanna Do: Live at My Father's Place 1978として発売された。
- ^ 1973年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのマネージャーになったアンディ・ディマルティーノとデイブ・ディマルティーノの兄弟は、それまでのリプリーズ(ワーナー・ブラザーズの子会社)との契約を捨てて、アメリカではマーキュリー・レコード、イギリスではヴァージン・レコードと契約を結んだ。彼等はディマルティーノ兄弟のマネージメントの下で『アンコンディショナリー・ギャランティード』(1974年)と『ブルージーンズ・アンド・ムーンビームズ』(1974年)の2作を発表した後に解散。1977年にヴァン・ヴリートはバンドを再結成して新マネージャーのハリー・ダンカンの下で『シャイニー・ビースト(バット・チェイン・プラー)』を製作したが、ディマルティーノ兄弟がイギリスでヴァージン・レコードと結んだ契約はまだ有効だったので、この作品がイギリスで発表されるためには、ワーナー・ブラザーズとヴァージン・レコードの交渉が必要だった。
- ^ 砂漠で航空管制官として働く友人に因んだ命名。
- ^ ギタリスト兼ソングライター。1972年にヴァン・ヴリートにラジオ・インタビューして以来、彼と交流を保っていた。
- ^ デビュー・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』(1967年)から6作目の『ザ・スポットライト・キッド』(1972年)まで参加して離脱し、再加入して1976年に制作された『バット・チェイン・プラー』(2012年)に参加した後に再度離脱した。
出典
[編集]- ^ Barnes (2011), pp. 247–251.
- ^ Barnes (2011), pp. 252–253.
- ^ Barnes (2011), p. 256.
- ^ Barnes (2011), pp. 257–259.
- ^ Barnes (2011), p. 259.
- ^ Barnes (2011), pp. 259–260.
- ^ Barnes (2011), p. 265.
- ^ Barnes (2011), p. 260.
引用文献
[編集]- Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-076-6