渡辺紀子
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(紀子女王から転送)
渡辺 紀子 (紀子女王) | |
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竹田宮家 | |
続柄 | 竹田宮恒徳王第2王女子 |
全名 | 渡辺 紀子(わたなべ のりこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
出生 |
1943年6月15日(81歳) 日本・東京府東京市芝区 竹田宮邸 |
配偶者 | 渡辺宣彦 |
子女 | 渡辺徹 |
父親 | 竹田宮恒徳王 |
母親 | 恒徳王妃光子 |
渡辺 紀子(わたなべ のりこ、1943年〈昭和18年〉6月15日 - )は、日本の旧皇族。竹田宮恒徳王の第2王女子。母は、公爵三条公輝令嬢・光子。旧名、紀子女王(のりこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。
人物・来歴
[編集]1943年(昭和18年)6月15日、竹田宮恒徳王と同妃光子の第2王女子として、東京府東京市芝区高輪南町(現:東京都港区高輪)の竹田宮邸で生まれる。日本国憲法施行後の1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、父や家族とともに皇籍離脱。以後は、「竹田 紀子(たけだ のりこ)」と名乗る。レイケムカンパニー副支店長の渡辺宣彦と結婚し、「渡辺 紀子」となるが、夫とは1981年(昭和56年)に死別[1]。
子は、次世代の党 衆議院東京都第1支部 支部長を務めた渡辺徹[2] 。
家系
[編集]- 子女:
- 長男:渡辺徹
明治天皇 (1852-1912) 在位 1867-1912 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正天皇 (1879-1926) 在位 1912-1926 | 竹田宮恒久王 (1882-1919) | 昌子内親王 (1888-1940) | 北白川宮成久王 (1887-1923) | 房子内親王 (1890-1974) | 朝香宮鳩彦王 (1887-1981) | 允子内親王 (1891-1933) | 東久邇宮稔彦王 (1887-1990) | 聡子内親王 (1896-1978) | 昭和天皇 (1901-1989) 在位 1926-1989 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和天皇 (1901-1989) 在位 1926-1989 | 竹田恒徳 (1909-1992) | 永久王 (1910-1940) | 朝香孚彦 (1912-1994) | 盛厚王 (1916-1969) | 成子内親王 (1925-1961) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上皇 (明仁) (1933-) 在位 1989-2019 | 竹田恒正 (1940-) | 北白川道久 (1937-2018) | 朝香誠彦 (1943-) | 東久邇信彦 (1945-2019) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今上天皇 (徳仁) (1960-) 在位 2019- | 竹田家 | (男系断絶) | 朝香家 | 東久邇家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 渡辺徹 ‐次世代の党所属だった政治家。
脚注
[編集]注釈・出典
[編集]- ^ “プロフィール”. 渡辺徹. 2019年5月3日閲覧。
- ^ “竹田恒泰×渡辺 徹「明治天皇の玄孫の戦後70年談話」”. PRESIDENT ONLINE. 2019年5月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 第一編集局セオリープロジェクト編 『名家・名門の秘密』 講談社、2009年。
- 竹田恒泰著 『語られなかった皇族たちの真実』
外部リンク
[編集]- 『親王・諸王略傳』恒[恆正] - ウェイバックマシン(2012年3月3日アーカイブ分)