篠田政龍
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篠田 政龍(政竜、しのだ まさたつ、1829年5月(文政12年4月[1][2])- 1893年(明治26年)5月31日[1][2])は、明治期の政治家。衆議院議員、鹿児島県南諸県郡大崎村長。
経歴
[編集]日向国諸県郡大崎郷仮宿村[3](鹿児島県、都城県、宮崎県、鹿児島県[1]南諸県郡大崎郷大崎村、曽於郡大崎村[2]を経て現大崎町[4])で生まれた。漢学を修めた[1][2]。
1862年(文久2年)大崎郷組頭に就任[1][2][3]。以後、大崎常備隊小隊長、都城県第11大区長、第10大区長、第2大区長などを務めた[1][2][3][4]。1880年(明治13年)鹿児島県会議員に選出され[3][4]、同常置員にも在任[1][2]。1890年(明治23年)第2代大崎村長に就任した[1][2][3][4]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(鹿児島県第6区、中央交渉会)で当選し[4][5]、その後、議員倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した[1][2]。議員在任中の1893年5月に病のため死去した[4][6]。