第7親衛空挺師団 (ロシア空挺軍)
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第7親衛空中強襲師団 | |
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創設 | 1945年4月26日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ロシア |
所属組織 | ロシア空挺軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 空挺兵 |
兵種/任務 | 空中強襲作戦 |
所在地 | クラスノダール地方ノヴォロシースク |
編成地 | ポロツク |
標語 |
勇気、大胆、名誉 Мужество, отвага, честь |
上級単位 | 空挺軍司令部 |
戦歴 |
第二次世界大戦 ハンガリー動乱 プラハの春 アフガニスタン紛争 第一次チェチェン紛争 第二次チェチェン紛争 南オセチア紛争 シリア内戦 ロシアのウクライナ侵攻 |
第7親衛空中強襲師団(だい7しんえいくうちゅうきょうしゅうしだん、7-я гвардейская воздушно-десантная дивизия;略称7 гв.ВДД)は、ロシア空挺軍の師団。空挺軍司令部隷下。クラスノダール地方ノヴォロシースク駐屯。
歴史
[編集]- 1945年:白ロシア、ポロツクにおいて、第8親衛空挺軍団第322親衛落下傘連隊に基づき、第7親衛空挺師団編成。
- 1945年:第3ウクライナ戦線第9軍の編成下において、バラトン湖(ハンガリー)地区に投入。
- 1945年4月26日:師団に対して、「2等クトゥーゾフ勲章」授与。師団の創設日。
- 1945年5月:ハンガリー、トレジュボン市で終戦を迎える。
- 1948年10月:リトアニアのカウナス市、マリヤンポリ市に配置転換。
- 1956年:ハンガリー動乱に参加。
- 1968年:チェコスロバキア動乱に参加。
- 1985年5月:師団に対して、赤旗勲章を授与。
1979年10月、第80親衛落下傘連隊を基幹に第39独立空中強襲旅団が創設された。
- 1979~1989年:アフガニスタンに投入。
- 1988~1989年:ザカフカーズ地域において、特殊任務を遂行。
- 1993年8月~:北カフカーズ軍管区に駐屯。
- 1993~1996年:アブハジアにおいて、平和維持任務を遂行。
- 1995年1月~1996年10月:第一次チェチェン紛争に投入。
- 1998年1月~:ダゲスタン及びチェチェン共和国において、特殊任務を遂行。
- 2008年8月:南オセチア紛争において、アブハジア方面に投入
- 2022年3月:2022年ロシアのウクライナ侵攻において師団長のアンドレイ・スホベツキー少将が演説中に狙撃され死亡[1]。
編制
[編集]- 師団司令部(ノヴォロシースク)
- 第3高射ミサイル連隊
- 第6整備回収大隊
- 第162情報大隊
- 第185軍事輸送航空飛行隊
- 第286宅配郵便業務隊
- 第629工兵大隊
- 第743親衛通信大隊
- 第967降着支援中隊
- 第1681用具支援大隊
- 第3395空中機動陸軍病院
- 第97落下傘連隊
- 第108親衛空中強襲連隊
- 第247親衛空中強襲連隊
- 第56親衛空中強襲連隊
- 第1141親衛砲兵連隊
歴代師団長
[編集]職名 | 就任年 | 氏名 | 階級 |
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師団長 | 1945年 - 1952年 | グリゴリー・ポリシチュク | 親衛少将 |
師団長 | 1952年 - 1955年 | ゲオルギー・ゴロファスト | 親衛大佐 |
師団長 | 1955年 - 1956年 | アレクセイ・ルダコフ | 親衛少将 |
師団長 | 1956年 - 1958年 | ピョートル・アンチポフ | 親衛大佐 |
師団長 | 1958年 - 1961年 | イワン・ドゥドゥラ | 親衛大佐 |
師団長 | 1961年 - 1963年 | ピョートル・チャプルイギン | 親衛少将 |
師団長 | 1963年 - 1966年 | ドミトリー・シュクルジエフ | 親衛少将 |
師団長 | 1966年 - 1970年 | レフ・ゴレロフ | 親衛少将 |
師団長 | 1970年 - 1973年 | オレグ・クレショフ | 親衛少将 |
師団長 | 1973年 - 1975年 | ニコライ・カリーニン | 親衛少将 |
師団長 | 1975年 - 1978年 | ウラジーミル・クラエフ | 親衛少将 |
師団長 | 1978年 - 1982年 | ウラジスラフ・アチャロフ | 親衛少将 |
師団長 | 1982年 - 1984年 | ユランチン・ヤルイギン | 親衛大佐 |
師団長 | 1984年 - 1987年 | ウラジーミル・トポロフ | 親衛少将 |
師団長 | 1987年 - 1990年 | アレクセイ・シグトキン | 親衛少将 |
師団長 | 1990年 - 1992年 | ワレーリー・ハツケヴィチ | 親衛少将 |
師団長 | 1992年 - 1994年 | グリゴリー・カラブホフ | 親衛少将 |
師団長 | 1994年 - 1997年 | イーゴリ・ソローニン | 親衛少将 |
師団長 | 1997年 - 2002年 | ユーリー・クリヴォシェーエフ | 親衛少将 |
師団長 | 2002年 - 2005年 | ニコライ・イグナトフ | 親衛少将 |
師団長 | 2005年 -2007年 | ヴィクトル・アスタポフ | 親衛少将 |
師団長 | 2008年 -2010年 | ウラジーミル・コチェトコフ | 親衛大佐 |
師団長 | 2010年 -2012年 | アレクサンドル・ヴャズニコフ | 親衛少将 |
師団長 | 2012年 -2014年 | ヴァレリー・ソロチュク | 親衛少将 |
師団長 | 2014年 -2019年 | ローマン・ブレウス | 親衛少将 |
師団長 | 2019年 -2022年 | アンドレイ・スホベツキー | 親衛少将 |
師団長 | 2022年 - | アレクサンドル・コルネフ | 親衛大佐 |
脚注
[編集]- ^ “「ウクライナのスナイパーがロシア将軍を射殺…演説中に狙撃」”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2022年3月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- ロシア空挺軍非公式サイト(ロシア語)