第200独立親衛自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)
表示
(第200独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)から転送)
第200独立親衛自動車化狙撃旅団 | |
---|---|
創設 | 1941年10月18日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ロシア |
所属組織 | ロシア陸軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
兵科 | 自動車化狙撃兵 |
兵種/任務 | 雪中戦 |
所在地 | ムルマンスク州ペチェンガ |
通称号/略称 | 軍部隊08275 |
愛称 | ペチェンガ |
上級単位 | 第14軍団 |
最終上級単位 | レニングラード軍管区 |
戦歴 |
第二次世界大戦 第一次チェチェン紛争 第二次チェチェン紛争 ドンバス戦争 ロシアのウクライナ侵攻 |
第200独立親衛自動車化狙撃旅団(だい200どくりつしんえいじどうしゃかそげきりょだん、ロシア語: 200-я отдельная мотострелковая бригада、略称200 омсбр)は、ロシア陸軍の旅団。赤軍の第45狙撃師団、ソ連軍の第131自動車化狙撃師団を前身とし、同師団の名誉称号「ペチェンガ」、クトゥーゾフ勲章を継承する。
歴史
[編集]第二次世界大戦
[編集]- 1941年10月18日:沿ヴォルガ軍管区に第67海軍狙撃旅団、北カフカーズ軍管区に第80海軍狙撃旅団が編成された。兵員の50%は、元水兵が構成した。
- 1941年11月:編成完結後、両旅団は、カレリア戦線に派遣された(第67旅団は1942年2月2日に同戦線編入、第80旅団は1月17日に編入)。
- 1942年1月15日:第67旅団がカレリア戦線のケミ作戦群区域に到着し、ロウヒ地区に配置された。
- 1942年4月2日:第67旅団は、第80旅団と交代し、第26軍に配属された。
- 1942年4月24日~5月3日:第67旅団は、キーロフ鉄道からの攻勢に参加し、200~250km前進したが、1076人の死傷者を出した。
- 1943年4月:両旅団は、第45狙撃師団の編成に回された。第45師団は、第26軍に編入され、ウフチン方面で戦った。その後、第14軍に編入され、ザポリャリエ方面で戦った。
- 1944年10月:ペトサモ・キルケネス作戦に参加し、赤軍で最初にノルウェー領内に進出した。10月31日、師団に名誉称号「ペチェンガ」、配下の第61及び第253連隊には「キルケネス」が授与された。
- 1945年:ムルマンスク州ペチェンガに駐屯
戦後
[編集]- 1957年春:第45狙撃師団は、第131自動車化狙撃師団に改編された。
- 1960年5月~7月:北部軍管区が廃止され、第131師団は、第6諸兵科連合軍に移管された。師団本部は、ムルマンスク市に移動
- 1964年:師団隷下の第61狙撃連隊が北方艦隊の第61独立海軍歩兵連隊に改編され、代わりに第19自動車化狙撃連隊が新編された。
- 1980年末:「北方」定員に削減
ロシア連邦軍
[編集]- 1995年:師団隷下の第133独立戦車大隊が第一次チェチェン紛争に投入される。
- 1997年12月1日:第131自動車化狙撃師団は、第200独立自動車化狙撃旅団に改編された。
- 1999年夏:戦略指揮所演習「ザーパド-99」の海上上陸において優秀と認められた。
- 2000年7月:旅団兵員を北カフカースに派遣
- 2012年12月1日:ロシア海軍の北方艦隊へ移管した。
- 2014年夏・秋:ドンバス戦争に参加[1]。
- 2021年:北方艦隊が独立した軍管区に昇格し、コミ共和国、アルハンゲリスク州、ムルマンスク州、ネネツ自治管区も管轄した[2]。
- 2022年3月:ハルキウの戦いでデニス・クリロ旅団長が戦死[3]。団員648名が戦死し、3名が降伏し捕虜になり全滅した[4]。
- 同年6月:ベルゴロドで再編成[5]。
- 2023年4月:親衛の称号が付与された[6]。
- 2023年12月:東部ドネツィク州バフムート地区に配備された[7]。
- 2024年:北方艦隊が独立した軍管区ではなくなった[8]際に第14軍団はレニングラード軍管区に所属した。
編制
[編集]- 旅団司令部
- 第583独立親衛自動車化狙撃大隊(軍部隊28883)
- 第658独立自動車化狙撃大隊(軍部隊01480):旧第10自動車化狙撃連隊
- 第664独立自動車化狙撃大隊(軍部隊68258)
- 第60独立親衛戦車大隊(軍部隊24269)
- 第416独立親衛自走榴弾砲大隊(軍部隊08628)
- 第471独立自走榴弾砲大隊(軍部隊84633)
- 第382独立ロケット砲大隊(軍部隊82264)
- 第871独立対戦車砲大隊(軍部隊62289)
- 第226独立高射ミサイル大隊(軍部隊81471)
- 第246独立高射ミサイル大隊(軍部隊84627)
- 第274独立親衛工兵大隊
- 第293独立電波電子戦中隊(軍部隊32205)
- 第185特使・郵便勤務局(軍部隊75227)
その外、通信、物資保障、修理・復旧大隊、偵察、放射線・化学・生物学防護、衛生中隊、BUiAR、警備、VUNR、VUNPVO、VUNA小隊、軍楽隊、演習場が存在する。
装備
[編集]- T-80 x40
- T-80K x1
- MT-LB x237
- BM-21「グラード」 x18
- 152mm自走榴弾砲2S3「アカーツィヤ」 x18
- 152mm自走榴弾砲2S19「ムスタ-S」 x18
- 120mm迫撃砲2B16「ノーナ-K」 x18
- 100mm砲MT-12「ラピラ」 x12
- 自走対戦車誘導弾複合体9P149「シュトゥルム-S」 x12
- BTR-70/80 x5
- BRDM-2 x4
- 戦闘車9A33BM2(3)「オサ」 x12
- 戦闘車9A34(35)「ストレラ-10」 x6
- 自走高射機関砲2S6M「ツングースカ」 x6
歴代旅団長・師団長
[編集]職名 | 就任年 | 氏名 | 階級 |
---|---|---|---|
師団長 | 1943年4月 - 1944年2月 | P.スエディン | 大佐 |
師団長 | 1944年2月 - 7月 | A.ミハイロフ | 大佐 |
師団長 | 1944年7月 - 1945年5月 | I.パニン | 少将 |
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Askai707 (2016年1月16日). “Russia's 200th Motorized Infantry Brigade in the Donbass” (英語). bellingcat. 2022年12月19日閲覧。
- ^ “Указ Президента Российской Федерации от 21.12.2020 № 803 «О Северном флоте»”. Официальный интернет-портал правовой информации (2020年12月21日). 2022年3月21日閲覧。
- ^ Ковальова, Діана (2022年3月29日). “У боях під Харковом. ЗСУ ліквідували командира 200-ї омсбр РФ, яка зазнала найбільше втрат у війні проти України”. НВ. 2022年3月29日閲覧。
- ^ In the 200th motorized rifle brigade of the Russian Federation only three people out of 648 survived - Arestovich Front News
- ^ “Элитная бригада, которая защищала границу с Норвегией, потеряла почти половину состава в Украине • «Агентство»” (ロシア語). «Агентство» (2022年12月16日). 2022年12月19日閲覧。
- ^ “Путин присвоил 200-й мотострелковой Печенгской бригаде наименование "гвардейская"”. タス通信 (2023年4月29日). 2023年4月29日閲覧。
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, December 10, 2023 戦争研究所
- ^ “ロシアが欧州方面の軍管区を二分割、スウェーデン加盟で拡大したNATOに対応か”. 讀賣新聞オンライン (2024年2月27日). 2024年3月29日閲覧。