コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

石澤志穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石沢志穂から転送)
石澤 志穂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
所属 駒澤大学附属苫小牧高等学校
誕生日 (1986-10-23) 1986年10月23日(38歳)
出身地 北海道中札内村

石澤 志穂(いしざわ しほ、女性、1986年10月23日 - )は、日本の元女子スピードスケート選手。専門は長距離。バンクーバーオリンピックソチオリンピック日本代表。トランシス所属。現在は帯広大谷短期大学勤務、管理栄養士。

来歴

[編集]

北海道中札内村出身。中札内村立中札内小学校、同中学校を経て、駒大苫小牧高校に進んだ。高校卒業後は(株)岸本医科学研究所に所属。

全日本スピードスケート選手権大会で2005年・2006年と4位入賞を連続で果たし[1][2]、2006年、20歳でISUワールドカップに初出場。2009年の世界距離別スピードスケート選手権大会に出場し、3000m17位、5000m14位。翌年のバンクーバーオリンピックにも出場し、3000m15位、5000mでは9位となった。なお、チームパシュートでは控えメンバーであったため、銀メダリストの一員になれなかったが、小平奈緒穂積雅子が、「これはイッシー(石澤の愛称)」と一緒にとったメダル」と、メダルを首に掛ける計らいをしてもらったという[3]

バンクバーオリンピック後、所属先が廃部となりフリーに転向したが、不振が続きスケート連盟の強化指定選手を外れた[4]。2011年10月にトランシス所属となり[5]、復活劇を遂げた。

2013年11月29日にカザフスタンのアスタナで行われたワールドカップ第三戦5000mで4位(日本人最上位)となり、ソチオリンピック代表が内定した。ソチオリンピックでは、3000m9位、5000m12位となった。

2014年4月18日に現役引退を表明。そして半年間イギリスに留学。2015年4月に帯広大谷短期大学に合格、2017年に卒業し[6]栄養士の資格を取得[7]。同い年の親友である小平の希望に応じて相澤病院所属となり[7][8]、練習や食事面でのサポートを行うことになった[7][9]

平昌オリンピックまでの1年間の日々は「(小平)奈緒を支えてきたっていうよりも、競技人生に寄り添ってきた」感じであったという[3]。また、「(オリンピック本番では)やりきった顔が見られればいいと思っていた」とも述べている[3]。平昌オリンピックで、小平は500mで金メダルを獲得。「実際にキラキラ輝くメダルを手にした奈緒を見て、さらに喜びがこみ上げてきました」「感無量」と涙ぐみ、喜びを分かち合った[7][3]

自己記録

[編集]
種目 記録 日時 場所
500m 40秒54 2012年2月18日 ロシアの旗 モスクワ
1000m 1分19秒46 2008年8月10日 カナダの旗 カルガリー
1500m 1分59秒28 2007年11月17日 カナダの旗 カルガリー
3000m 4分03秒00 2013年11月5日 アメリカ合衆国の旗 ソルトレークシティ
5000m 6分55秒43 2011年2月18日 アメリカ合衆国の旗 ソルトレークシティ

脚注

[編集]
  1. ^ 日本スケート連盟. “第74回全日本スピードスケート選手権大会”. 2013年12月23日閲覧。
  2. ^ 日本スケート連盟. “第75回全日本スピードスケート選手権大会”. 2013年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 朝日新聞』、2018年2月19日付朝刊。
  4. ^ 朝日新聞 2013年12月21日東京夕刊4版 9面
  5. ^ 北海道新聞 2011年11月13日. “スピードスケート石沢、トランシス入社”. 2013年12月23日閲覧。
  6. ^ テレビ北海道(大藤晋司アナウンサーのブログ・2017年4月21日)
  7. ^ a b c d 五輪スケート 小平支えた友情 金に結実 元五輪選手”. 毎日新聞. 2018年2月21日閲覧。
  8. ^ 五輪スケート「勝て」と言わぬ支援者 小平、金の恩返し”. 毎日新聞. 2018年2月21日閲覧。
  9. ^ サンケイスポーツ(2017年4月20日)

参考

[編集]

外部リンク

[編集]