軽里大塚古墳
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軽里大塚古墳 | |
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墳丘全景(右に前方部、左奥に後円部) | |
別名 | 前の山古墳/白鳥陵古墳 |
所属 | 古市古墳群 |
所在地 | 大阪府羽曳野市軽里3丁目 |
位置 | 北緯34度33分4.33秒 東経135度36分13.78秒 / 北緯34.5512028度 東経135.6038278度座標: 北緯34度33分4.33秒 東経135度36分13.78秒 / 北緯34.5512028度 東経135.6038278度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長190m 高さ23m |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | (宮内庁治定)日本武尊 |
陵墓 | 宮内庁治定「白鳥陵」 |
史跡 |
国の史跡「白鳥陵古墳周堤」 (「古市古墳群」に包含) |
特記事項 |
全国第36位の規模 (墳丘長200mとする場合)[1] |
軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)は、大阪府羽曳野市軽里にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として日本武尊(景行天皇皇子、仲哀天皇父)の陵に治定されている。また周堤は国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)[2]。
別称を「前の山古墳」や「白鳥陵古墳」とも。羽曳野市の名前の由来となった古墳である。
概要
[編集]古市古墳群の南部、墓山古墳の南、白髪山古墳の北東に位置する。全長約190m、後円部径約106m、高さ約20m、前方部幅約165m、高さ約23mで、古市古墳群で7番目の大きさである。墳丘は三段築成で前方部を西に向け、北側のくびれ部には造り出しがある。周囲には幅約35mの周濠と上面幅21mの堤がめぐらされている。
主体部や副葬品については不明である。1981年の発掘調査で、後円部の円筒埴輪列が確認されたほか、朝顔形埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土した。これらの出土品や、前方部幅が後円部径に比べて約1.5倍もあるという墳形上の特徴から、古市古墳群では市ノ山古墳とほぼ同時期、5世紀後半の築造と推定されている。
2021年に周堤が国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」への追加指定)[2]。
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日本武尊白鳥陵 拝所
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3DCGで描画。前方部側から見る
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3DCGで描画。後円部側から見る
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3DCGで描画。北西側から見る
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3DCGで描画。真横から見る
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
- ^ a b 令和3年3月26日文部科学省告示第48号。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、軽里大塚古墳に関するカテゴリがあります。