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白井博之

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白井博之

白井 博之(しらい ひろゆき、1870年1月19日(明治2年12月18日[1][2][3][4])- 1934年昭和9年)2月7日[5][6][7])は、明治後期から昭和初期の実業家政治家衆議院議員。旧名・貞蔵[2][3][4][5][6][8]。1913年(大正2年)5月、博之に改名[2][3]

経歴

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白河県磐城郡上小川村(福島県[5]石城郡上小川村[4][8]大字上小川[1]小川町を経て現いわき市小川町上小川)で、実業家白井遠平の長男として生まれる[2][3][4][8][9]。郷里の小学校を卒業し、同郡平窪村、室直養の培根塾に入り漢学、数学を学んだ[1][8]。1885年(明治18年)11月に上京し、東京英語学校[2][3][6][8][9](現日本学園中学校・高等学校)で英語、数学を学び1887年(明治20年)7月に修業[1]東京農林学校に進んだが[1][2][3][5][6][7][8][9]病のため1888年(明治21年)3月に中退し帰郷した[1][8]

健康を回復し勉学に復帰しようとしたが[1]、1895年(明治28年)6月、上小川村会議員に当選し[1]、翌月、上小川村及下小川村組合村会議員にも当選したため[1]、勉学を断念した[1]。以後、石城郡会議員、同参事会員、福島県会議員、同参事会員などを務めた[1][2][3][4][5][6][7][8][9]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(福島県郡部、憲政本党、貞蔵名義)で初当選し[3][6][10]、1920年(大正9年)5月の第14回総選挙(福島県第9区、立憲政友会公認、博之名義)でも再選され[6][11]、衆議院議員に通算2期在任した[5][7]。この間、小名浜商港修築など地域の産業振興に尽力した[4]

実業界では、磐城銀行頭取、福島県農工銀行取締役、磐城実業銀行取締役、平銀行取締役、郡山電気取締役、植田水力電気取締役、川前信託取締役、磐城建物社長、平製氷社長などを務めた[1][2][3][5][6][7][9]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『福島県東海岸之人物』130-135頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』し28頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『福島誌上県人会』324頁。
  4. ^ a b c d e f 『磐城高風録』77頁。
  5. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』319-320頁。
  6. ^ a b c d e f g h 『福島県史 第22巻』267頁。
  7. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』227頁。
  8. ^ a b c d e f g h 『福島県人名鑑』シ6頁。
  9. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』シ104頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』21頁。
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』17頁。

参考文献

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  • 太田桜洲『福島県東海岸之人物』広文堂、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 『福島県人名鑑 : 一名・事業と人物』福島県人名鑑刊行会、1923年。
  • 松沢忠雄編『福島誌上県人会』福島県友会出版部、1923年。
  • 磐城新聞編輯部『磐城高風録』磐城新聞社、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。