宮城県登米高等学校
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(登米高校から転送)
宮城県登米高等学校 | |
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2012年7月撮影 | |
北緯38度39分27.7秒 東経141度16分45.8秒 / 北緯38.657694度 東経141.279389度座標: 北緯38度39分27.7秒 東経141度16分45.8秒 / 北緯38.657694度 東経141.279389度 | |
過去の名称 | 宮城県登米町立実科高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮城県 |
学区 | 登米学区 |
理念 | 夢ある限り挑戦!! |
校訓 | 「誠実」「勤勉」「進取」 |
設立年月日 | 1920年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D104212120021 |
高校コード | 04128K |
所在地 | 〒987-0702 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮城県登米高等学校(みやぎけん とめこうとうがっこう)は、宮城県登米市登米町寺池にある県立高等学校。
設置学科
[編集]全日制 普通科(3クラス)…文系Aコース(5教科をまんべんなく学習)、文系Bコース(英語・国語・社会科を重点的に学習、大学進学希望者向き)、理系Cコース(数学および理科を重点的に学習)
過去の学科
[編集]全日制 商業科 (1970 - 2017年)
校訓
[編集]- 「誠実」「勤勉」「進取」
- 教育目標
- 生徒の志望を達成させる教育
- 社会人として自立できる人間づくり
- 生徒・父母・地域から信頼される学校づくり
沿革
[編集]- 1920年(大正9年) - 宮城県登米町立実科高等女学校として設立
- 1927年(昭和2年) - 宮城県に移管され、宮城県登米高等女学校へ改称
- 1929年(昭和4年) - 現校地へ校舎を新築移転
- 1948年(昭和23年) - 宮城県登米高等学校へ改称
- 1949年(昭和24年) - 共学化
- 1964年(昭和39年) - 体育館竣工、翌年に図書館改装およびテニスコート竣工
- 1969年(昭和44年) - テニスコート移転、プール竣工
- 1970年(昭和45年) - 創立50周年。商業科を設置
- 1973年(昭和48年) - 天体観測ドーム竣工
- 1979年(昭和54年) - 木造校舎解体、翌年新校舎竣工
- 1981年(昭和56年) - 創立60周年記念式典
- 1985年(昭和60年) - 新体育館落成
- 1990年(平成2年) - 創立70周年記念式典
- 1991年(平成3年) - プールろ過装置改修、2年のちにプール改修
- 1997年(平成9年) - 機械警備開始
- 2000年(平成12年) - 創立80周年記念・体育館へグランドピアノの寄付
- 2015年(平成27年) - 宮城県登米総合産業高等学校開校に伴い、商業科が募集停止
- 2017年(平成29年)3月 - 商業科閉科
統合
[編集]登米高校の商業科と上沼高校、米山高校、米谷工業高校を統合した新しい高校 [注釈 1]として、『宮城県登米総合産業高等学校』[1]が上沼高校の校地に2015年度に開校[注釈 2]した。
部活動
[編集]- 運動部
- ソフトテニス部(男女)、バスケットボール部(男女)、陸上競技部、硬式野球部、バドミントン部(男女)、カヌー部(男女)
- 文化部
- 美術部、茶華道部、吹奏楽部、写真部、情報文化部、軽音楽部
交通
[編集]主な卒業生
[編集]脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ 登米地区統合校の新設に係る校名案について - 宮城県教育委員会HP
- ^ “楽団員プロフィール 久保和憲 Kazunori Kubo”. 山形交響楽団. 2019年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月1日閲覧。