疫神送
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(疫神流しから転送)
疫神送(えきじんおくり)とは、神道の用語で、疫病をもたらすと考えられていた疫神を所属する共同体から外界へと送り出す行事、儀式のことである。
疫神を村界から外へ送り禳ふ行事。疫神禳(えきじんばら〔ひ脱カ〕、疫神流(えきじんながし)ともいふ。例年六月十三日を期とし、愛知県三河国南設楽郡作手村〔現新城市作手地区〕で行はれる。一名祇園送。当日は小麦を紙に包んだものを竹の先に挟んで門に立て、疫神払ひの禁厭とする。
また疫神除却の方法として、之〔これ〕を川に流すものに疫神禳がある。それは岐阜県吉城郡高原郷〔現飛騨市神岡地区、高山市上宝地区〕の習俗で、流行病が猖獗を極める時、藁を以て船の形を造り、神職を招じて行疫の悪神禳ひを行つた後、疫神を其の藁船に移して川に流し、一同茅輪をくぐり、一切後を見ずに帰るのである。
これに似て稍々〔やや〕形のかはつたものに、兵庫県飾磨郡家島村〔現姫路市家島〕の疫神流がある。ここでは伝染病の時に際して、小形の船を作り、村内を舁ぎ廻り、各病家で積込む藁人形をそれに乗せて、「送れ送れ、疫病神送れ」と賑やかに囃しつつ海に流し遣るのである。 — 『神道大辞典』[1]
風邪の神送り
[編集]耳袋では[2]、江戸時代、非人や人形に風邪の神の扮装をさせて送る儀礼を紹介している。同書によれば、風邪が大流行したある初夏、大阪で、風の神送りをしていたところ、ある「風邪の神(の扮装をした非人)」が送る不審者によって空堀に投げ入れられたので、そのままの格好で帰り、家々の戸を叩きながら「風邪の神、帰りました」と言って回ったという。 地方によって、ガイケノカミオクリ、咳気の神送り、オイヤレ、ヤウカオクリ、コトノカミオクリ、といい、咳気神、カゼノカミは病気全般をつかさどるとされる。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『神道大辞典』第1巻 平凡社、昭和12年
- 『定本 柳田國男集』第10巻