畠山一清
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(畠山即翁から転送)
畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年(明治14年)12月28日 - 1971年(昭和46年)11月17日[1])は、日本の実業家・機械工学者。株式会社荏原製作所の創立者[2]。石川県金沢市出身。機械工学者・井口在屋の「渦巻ポンプに関する理論」をもとに「うずまきポンプ」を発明した[2]。
来歴
[編集]1881年(明治14年)、金沢で能登の守護大名・能登畠山氏の血筋を引く家系に生まれる。東京帝国大学機械工学科を卒業後、1912年に恩師の井口在屋と共同でゐのくち式機械事務所を創業した。1920年(大正9年)にはポンプ販売の事業を発展させて荏原製作所を設立した。
畠山の発明は渦巻ポンプにとどまらず、発電用車、送風機、水中モーターポンプなど数十種の製品に及ぶ[2]。
第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)7月29日に貴族院議員(勅選議員)となり[3]、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた[1]。また後に発明協会の会長を務め、恩賜発明賞の別称「畠山一清賞」に名前を残している。畠山は「即翁」の号を持つ数寄者としても知られており、益田鈍翁らと交流を持った。茶器や能道具など、畠山が収集した数多くの美術品は東京都港区にある畠山記念館に収められている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。