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田村圓澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村円澄から転送)
田村 圓澄
(たむら えんちょう)
生誕 (1917-01-02) 1917年1月2日
日本の旗 日本奈良県橿原市
死没 (2013-07-10) 2013年7月10日(96歳没)
日本の旗 日本福岡県糟屋郡新宮町
研究分野 仏教史
研究機関 九州歴史資料館
出身校 九州帝国大学(学士)
京都大学(修士)
主な業績八宗体制論
プロジェクト:人物伝
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田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 2013年7月10日)は、日本史学者・仏教史学者。九州大学名誉教授。位階従四位

経歴

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1917年(大正6年)、奈良県橿原市で生まれた。九州帝国大学国史学科で学び、1941年に卒業。卒業後は、母校・九州帝国大学の副手に採用された。しかし太平洋戦争下の1942年、同大学を退官し、土浦海軍航空隊教授嘱託として海軍少尉任官。

戦後 京都時代

戦後、1946年塚本善隆の娘と結婚。京都の妙泉寺住職となると同時に、堀川中学校教諭として勤務。一方で、同1946年、京都大学大学院文学研究科に入学した。1948年修士課程を修了。博士後期課程に進み、1950年単位取得満期退学。仏教文化研究所が設立されると、それに参加した。

九州時代

1957年九州大学文学部助教授に就いた。1966年から1967年まで、 アメリカ合衆国カリフォルニア大学バークレー校へ研究滞在。1968年、学位論文『法然上人伝の研究』を 九州大学に提出して文学博士号を取得[1]。また、同1968年、文学部教授に昇格した。1980年、九州大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は熊本大学教授として教鞭をとり、1982年に退官。退任後は、九州歴史資料館長となり、1992年まで務めた。

2013年7月10日、肺水腫のため福岡県糟屋郡新宮町の病院で死去[2]。96歳没。死去と同時に叙従四位

受賞・栄典

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研究内容・業績

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浄土宗研究をはじめ、古代仏教史で朝鮮半島との関係研究などに移行しつつ、東アジア仏教史研究を行っている。聖徳太子飛鳥時代の実証研究でも著名である。また、『興福寺奏状』の一節に注目して日本の古代仏教史を「八宗体制」ととらえる理論的枠組み(八宗体制論)を構築して影響をあたえた。

八宗体制論

著作一覧

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  • 『歴史と宗教』永田文昌堂(東山叢書)1946
  • 『日本思想史の諸問題』永田文昌堂 1948
  • 『浄土思想の展開』永田文昌堂 1948
  • 法然上人伝の研究』(仏教文化研究所研究報告)法蔵館 1956
  • 『法然 人物叢書』吉川弘文館 1959、新版1988
  • 『日本仏教思想史研究』浄土教篇 平楽寺書店 1959
  • 聖徳太子 斑鳩宮の争い』中公新書 1964
  • 藤原鎌足』塙新書 1966、新版1980
  • 『飛鳥仏教史研究』塙書房 1969
  • 『西と東』永田文昌堂 1974
  • 『飛鳥・白鳳仏教論』雄山閣出版 1975
  • 空海 真言密教の求道と実践 日本を創った人びと』平凡社 1978
  • 『古代朝鮮仏教と日本仏教』吉川弘文館 1980、講談社学術文庫 1985
  • 『日本仏教史』(全5巻)法蔵館 1982-83
  • 『法然とその時代』法蔵館(法蔵選書)1982、法蔵館文庫 2023
  • 『法然上人伝』日本仏教史別巻 法蔵館 1983
  • 半跏像の道』学生社 1983
  • 『佛教史散策』山喜房仏書林 1984
  • 仏教伝来と古代日本』講談社学術文庫 1986
  • 『日本古代の宗教と思想』山喜房仏書林 1987
  • 『大宰府の春 回顧七十年』六興出版 1987
  • 筑紫と飛鳥 日本古代史を見る眼』六興出版 1990
  • 『佛教史周辺』山喜房仏書林 1990
  • 大宰府探求』吉川弘文館』1990
  • 『筑紫の古代史』学生社 1992.
  • 『佛教史散歩』山喜房仏書林 1994
  • 『飛鳥・白鳳仏教史』吉川弘文館 1994/同・歴史文化セレクション 2010
  • 伊勢神宮の成立』吉川弘文館 1996/同・歴史文化セレクション 2009
  • 『図説日本仏教の歴史 飛鳥・奈良時代』佼成出版社 1996
  • 『古代日本の国家と仏教 東大寺創建の研究』吉川弘文館 1999
  • 『古代国家と仏教経典』吉川弘文館 2002
  • 『古代東アジアの国家と仏教』吉川弘文館 2002
  • 法華経と古代国家』吉川弘文館 2005
  • 『東アジアのなかの日本古代史』吉川弘文館 2006
  • 飛鳥時代 倭から日本へ』吉川弘文館 2010
  • 『「夜明け前」の日本と朝鮮・中国』梓書院 2011
  • 『色定法師と源平の争乱』追悼遺稿集[3] 海鳥社 2015
共編著
  • 新羅と飛鳥・白鳳の仏教文化』洪淳昶共編 吉川弘文館 1975
  • 『日本仏教のこころ 入門日本仏教思想史』田村芳朗共編 有斐閣選書 1977
  • 『百済文化と飛鳥文化』黄寿永共編 吉川弘文館 1978
  • 『新羅と日本古代文化』秦弘燮共編 吉川弘文館 1981
  • 半跏思惟像の研究』黄寿永共編 吉川弘文館 1985
  • 『古代最大の内戦・磐井の乱小田富士雄、山尾幸久共著 大和書房 1985
  • 大宰府 古代を考える』吉川弘文館 1987
  • 『韓国と日本の仏教文化』鎌田茂雄共著 古代の日本と韓国 学生社 1989
  • 『古代海人の謎 宗像シンポジウム』荒木博之共編 海鳥社 1991
  • 宇佐八幡と古代神鏡の謎』木村晴彦・桃坂豊共著 戎光祥出版 2004
論文
記念論集
  • 東アジアと日本. 考古・美術編 / 田村圓澄先生古稀記念会 吉川弘文館 1987.12
  • 東アジアと日本. 宗教・文学編 / 田村圓澄先生古稀記念会 吉川弘文館 1987.12
  • 東アジアと日本. 歴史編 / 田村圓澄先生古稀記念会 吉川弘文館 1987.12

脚注

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  1. ^ CiNii(学位論文)
  2. ^ 田村圓澄氏死去 日本仏教史研究の第一人者 西日本新聞 - ウェイバックマシン(2013年7月10日アーカイブ分)
  3. ^ 序文川崎隆生、田村博編。最終章に川添昭二宮家準・小田富士雄・佐伯弘次の追悼を収録