瑞芳区
表示
(瑞芳鎮から転送)
別称: | |
地理 | |
---|---|
位置 |
北緯25°07" 東経121°48" |
面積: | 70.7336 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 瑞芳 |
日本語読み: | ずいほう、すいほう |
拼音: | Ruìfāng |
注音符号: | ㄖㄨㄟˋㄈㄤ |
片仮名転写: | ルイファン |
台湾語: | Suī-hong |
客家語: | Sui-fông |
行政 | |
行政区分: | 市轄区 |
上位行政区画: | 新北市 |
下位行政区画: | 34里426鄰 |
瑞芳区長: | 陳奇正 |
公式サイト: | 瑞芳区公所 |
情報 | |
総人口: | 40,922 人(2016年1月) |
世帯数: | 16,127 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 224 |
市外局番: | 02 |
地理
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
歴史
[編集]瑞芳の開発は清末の光緒年間に遡る。しかし鉄道が開通する以前の交通は水運が主体であったことから柑坪里に港が設けられ、台湾東部への中継地となっていた。
瑞芳が飛躍的な発展を遂げたのは。清代に金瓜石や九份で金鉱が発見されてからである。瑞芳は鉱山の補給基地としての役割が与えられた。現在の柑坪里(旧名:柑仔瀬)には金山に向かう労働者向けの商店が立ち並び、その中の一つに店名を「瑞芳」という商店があった。金山労働者は柑仔瀬に向かう事を「瑞芳に行く」と表現していたことからこの一帯が瑞芳と称されるようになった。
日本統治時代の1901年(明治34年)11月11日、基隆庁の管轄となる。
1905年(明治38年)7月1日、台湾総督府により「瑞芳区」と「𫙮魚坑区」が設置された。
1909年(明治42年)10月25日、基隆庁が台北庁に合併し、瑞芳区と𫙮魚坑区は台北庁水返脚支庁の管轄となる。
1920年(大正9年)10月1日、地方改制の際に瑞芳区と𫙮魚坑区が合併して台北州基隆郡「瑞芳庄」となった。
1938年(昭和13年)2月11日、瑞芳庄が「瑞芳街」へ昇格した。
第二次世界大戦後の1946年1月16日、中華民国統治下で「瑞芳鎮」へ改編された。
2010年12月25日、台北県が新北市に改編されたことに伴い瑞芳区へ改編された。瑞芳区へ改編されるまでは、基隆北海岸地域唯一の鎮であった。
行政区画
[編集]地区 | 里 |
---|---|
瑞芳 | 上天里、爪峰里、柑坪里、東和里、傑魚里、新峰里、龍川里、龍山里、龍安里、龍潭里、龍興里、龍鎮里 |
四脚亭 | 吉安里、吉慶里 |
猴硐 | 弓橋里、光復里、猴硐里、碩仁里 |
九份 | 永慶里、基山里、崇文里、福住里、頌徳里 |
金瓜石 | 石山里、瓜山里、新山里、銅山里 |
瑞浜 | 南雅里、海浜里、深澳里、瑞浜里、鼻頭里、濂洞里、濂新里 |
政治
[編集]行政
[編集]区長
[編集]- 歴代区長
この節の加筆が望まれています。 |
交通
[編集]種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
鉄道 | 宜蘭線 | 四脚亭駅 瑞芳駅 猴硐駅 三貂嶺駅 |
省道 | 台62線 台2線 | |
県道 | 102号線 106号線 |
教育
[編集]区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 0 | - |
高中 | 0 | - |
高職 | 1 | 国立瑞芳高級工業職業学校 |
国中 | 3 | 新北市立瑞芳国民中学 新北市立欽賢国民中学 私立時雨国民中学 |
国小 | 11 | 新北市立瑞芳国民小学 新北市立義方国民小学 新北市立瑞柑国民小学 新北市立瑞浜国民小学 新北市立九份国民小学 新北市立瓜山国民小学 新北市立濂洞国民小学 新北市立猴硐国民小学 新北市立瑞亭国民小学 新北市立吉慶国民小学 新北市立鼻頭国民小学 |
観光
[編集]観光スポット
[編集]-
九份の街並み
-
深澳岬から水湳洞方面を望む
-
水湳洞海岸
-
新北市立濂洞国民小学から望む陰陽海付近
-
無耳茶壷山の山頂から望む基隆山