田中瑞季
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1980年9月21日(44歳) |
身長 体重 |
175 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 三塁手、二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト5位 |
初出場 | 2002年5月19日 |
最終出場 | 2004年8月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田中 瑞季(たなか みずき、1980年9月21日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。
登録名は、2000年から2002年は田中瑞季。2003年から2007年は瑞季。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]小学1年生から地元の野球チームに入部[1]し、6年生時にはキャプテンを務める。
中学時代はリトルリーグ(硬式野球)に所属、その傍ら1年時は陸上部に所属していた。入部直後の1年時に出場した新人陸上大会県予選では、100m走で優勝を果たし大会記録を出した。またこの年の100m走記録会で全国大会入賞の経験を持つ[要出典]。
柳川高等学校では、入部直後の練習試合で守備の際、左足首を負傷、その後も度重なる怪我で1年と2年時の大半をリハビリに費やすことになった。結局、高校時に出場したのは3年夏の福岡県大会のみであり、ベスト4で敗れ甲子園出場は叶わなかった。
高校卒業後は住友金属(和歌山市)に入社するも、入団直後、退団の申し入れをし、地元福岡に帰り、アルバイト生活をしながら生計を立て [1]。福岡ダイエーホークスの入団テストを受験[1]。
結果、1次試験(50m走5.8秒、遠投120m)と2次試験(守備、打撃)をクリアして見事合格を果たし、1999年のプロ野球ドラフト会議で5位指名を受けた[1]。尚、テストで合格し入団したのは野村克也、田畑一也、田中瑞季3人のみである[要出典]。
ダイエー時代
[編集]2000年、1年目は途中出場や出場機会こそ少なかったが、ファームの試合ではチームトップの盗塁数、犠打数をマーク、打率こそ低かったが本塁打を5本記録している。また1年目ながらこの年の(巨人対ダイエー)の日本シリーズの40人枠に選出された。
2001年、2年目の春季キャンプではA組スタートを勝ち取ったが、キャンプ中盤の守備練習で右肩を負傷(関節唇損傷、腱板損傷)と診断を受け手術をすることになり、リハビリに費やすシーズンとなった[1]。
2002年、3年目の春季キャンプからスイッチヒッターに挑戦し、5月19日の西武戦でスタメン(2番二塁手)出場を果たした。初安打、初打点、初盗塁も記録している。この年のジュニアオールスター(ウエスタンリーグ代表)に選出されたが、大会前の走塁練習中に左ハムストリングを負傷し、出場を辞退することになった。
2003年は、主に試合終盤の代走、代打を中心に25試合に出場。また日本シリーズでは、25人(内野手6人)の出場枠に選出された。
2004年は、1軍で自己最多の41試合に出場。スタメンでの出場(三塁手、二塁手)も増え、得点圏打率は3割を超えた。
ソフトバンク時代
2005年は、極度の送球難に陥り、ファームの試合は勿論、キャッチボールもまともに出来ない程苦しんだ。自身の怪我や若手の台頭もあり、シーズン終了後に戦力外通告を受け退団した。その後参加したトライアウトでは千葉ロッテマリーンズ、広島東洋カープの関係者から連絡を受けたが、千葉ロッテに入団することを決めた[要出典]。
千葉ロッテ時代
[編集]2006年は、一軍に上がる事はなかった。自身二度目の戦力外通告を受けユニフォームを脱ぐ事になった。
現役引退後
[編集]地元福岡で野球塾を行う傍ら[要出典]、ホークスジュニアアカデミーのコーチとして子供たちに野球を指導している[2]。また現在は、スポーツ整骨院も経営している[要出典]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2002 | ダイエー | 10 | 8 | 8 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .125 | .125 | .250 | .375 |
2003 | 25 | 31 | 30 | 4 | 8 | 3 | 0 | 0 | 11 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | .267 | .290 | .367 | .657 | |
2004 | 41 | 94 | 84 | 13 | 21 | 4 | 1 | 0 | 27 | 7 | 4 | 2 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 13 | 1 | .250 | .308 | .321 | .629 | |
通算:3年 | 76 | 133 | 122 | 17 | 30 | 8 | 1 | 0 | 40 | 11 | 5 | 3 | 3 | 0 | 8 | 0 | 0 | 20 | 1 | .246 | .292 | .328 | .620 |
記録
[編集]- 初出場・初先発出場:2002年5月19日、対西武ライオンズ7回戦(長野オリンピックスタジアム)、2番・二塁手として先発出場
- 初打点:2002年9月29日、対西武ライオンズ27回戦(福岡ドーム)、6回裏に内薗直樹から二塁ゴロの間に記録
- 初安打:2002年9月30日、対大阪近鉄バファローズ27回戦(大阪ドーム)、2回表に藤崎紘範から右翼へ二塁打
- 初盗塁:2003年10月1日、対千葉ロッテマリーンズ27回戦(千葉マリンスタジアム)、3回表に二盗(投手:渡辺俊介、捕手:橋本将)
背番号
[編集]- 56 (2000年 - 2005年)
- 69 (2006年)
登録名
[編集]- 田中 瑞季 (たなか みずき、2000年 - 2002年)
- 瑞季 (みずき、2003年 - 2006年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 瑞季 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- NPO法人ホークスジュニアアカデミー