狩野岳也
狩野 岳也(かのう たかや、1964年〈昭和39年〉9月19日 - )は、社会福祉法人明岳会の理事長および元茨城県議会議員(かすみがうら市選挙区選出)。ピソ天神(介護利用型軽費老人ホーム)の施設長を務める。
狩野 岳也 かのう たかや | |
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生年月日 | 1964年9月19日(60歳) |
出生地 | 茨城県水戸市 |
出身校 | 東京農業大学農学部農業拓殖学科 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
親族 |
父・狩野明男(元参議院議員) 母・狩野安(元参議院議員) 祖父・加藤高蔵(元衆議院議員) |
選挙区 | かすみがうら市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2006年 - 2012年 |
本名は狩野 平左衛門岳也(かのう へいざえもんたかや)であるが、県議会議員時代は狩野 岳也(かのう たかや)で登録していた。
また園芸療法・動物介在療法の実践者でもあり、ラマとカピバラを飼育している。
経歴
[編集]茨城県水戸市出身。現在はかすみがうら市宍倉に在住。水戸市立吉田小学校を卒業後、家庭の事情から3つ上の姉とともに東京都の啓明学園中学校・高等学校で中高6年間を過ごす(5年間は寮生活をしていたが、高3の時に寮を追い出された)[1]。青年海外協力隊に憧れて東京農業大学農学部農業拓殖学科へ進学し、1987年〈昭和62年〉に卒業(1年間同大の農場研修生)[1]。 同大学在学中には、第93回収穫祭で「ミスター農大」に選出され、第94回収穫祭では実行委員長を務めた[1]。
その後、衆議院議員 三塚博の秘書(通産大臣・外務大臣・自民党政調会長・清和会会長時代)を経て、社会福祉法人明岳会を設立し理事長、ピソ天神施設長を13年間務める。
2006年〈平成18年〉の茨城県議選に自民党公認で出馬し無投票で当選した。2009年〈平成21年〉度は総務企画委員会・情報委員会に所属。2010年〈平成22年〉12月の茨城県議会議員選挙にて、2期目当選。2011年〈平成23年〉度は、農林水産委員会副委員長。2012年〈平成24年〉度は土木企業員会副委員長・議会運営委員会委員・県議会改革等調査検討会議委員を歴任した。
その後、衆議院茨城6区より出馬するため2012年11月19日に県議会議員を辞職[2]。 また同選挙区には自民党公認の丹羽雄哉が出馬するため、初代自民党県連会長であった祖父の代から続いていた自民党を離党した。なお、11月19日に県連に離党届を提出したが、県連はこれを受理せず[2]。無所属で出馬した。選挙の結果、丹羽が当選し、狩野は落選した[3]。
役職
[編集]- かすみがうら市体育協会少林寺拳法連盟 会長
- 全国防衛協会青年部会 理事
- 茨城県防衛協会青年部会 会長
- 土浦地区 保護司
- 茨城県屋外広告美術協同組合 顧問
- 茨城県オリエンテーリング協会 会長(2009年に母である狩野安より引き継ぐ形で就任[4][5])
- 茨城県ユースホステル協会 会長
- 全国軽費老人ホーム協議会 顧問
- 社会福祉法人 明岳会 理事長
- 社会福祉法人 青洲会 理事
- 社会福祉法人 斑山会 理事
- 日本赤十字社防災ボランティア 地区リーダー
- 日本ガーディアンエンジェルス土浦支部 副支部長
- 沖縄県座間味村 観光大使
家族
[編集]父は元衆議院議員・参議院議員の狩野明男。母は自民党元参議院議員の狩野安。母方の祖父に元衆議院議員の加藤高蔵がいる。父方の曽祖父は、旧志士庫村長の狩野義胤。そしてこの元村長義胤の父は貴族院議員互選者の狩野助胤で、栃木県選出の貴族院議員であった矢口長右衛門は父親の母方曽祖父にあたる。また、幕末の天狗党の末裔で先祖の名は「天勇隊隊長の須藤敬之進」である。
脚注
[編集]- ^ a b c “かのう岳也:かのう君のプロフィール”. www.kanou-takaya.com. 2021年12月7日閲覧。
- ^ a b “狩野氏の離党届不受理 自民県連預かり 「支援したら反党行為」/茨城”. 毎日新聞. (2012年11月20日) 2012年12月3日閲覧。
- ^ 第46回衆議院議員選挙-2012年12月16日投票 茨城6区|候補者一覧|政治山2021年11月9日閲覧。
- ^ 日本オリエンテーリング協会. “平成20年度事業報告書”. 2021年6月24日閲覧。
- ^ 日本オリエンテーリング協会. “平成21年度事業報告書”. 2021年6月24日閲覧。