2008年韓国蝋燭デモ
2008年韓国蝋燭デモ(2008ねんかんこくろうそくデモ、朝: 2008년 대한민국의 촛불 시위)は、大韓民国(韓国)でPD手帳の報じたBSEデマ報道内容の妄信を発端に行われた、米国産牛肉輸入再開反対・反李明博政権デモである。日没後に行われ、参加者は蝋燭に火を点して集まったことから「蝋燭デモ」(촛불 시위)や「BSE騒動」「狂牛病騒擾」と呼ばれる[1][2][3][4][5][6][7]。
概要
[編集]約100日間デモが続いたが、最初のデモを呼びかけた主宰者は、2007年の大統領選挙以前から李明博大統領を批判しつづけてきた韓国左派勢力であり、当時の野党も政権・与党批判のために扇動に相乗りし、当初の牛肉輸入反対運動から、朝鮮半島大運河構想・公企業民営化反対など李明博政権批判・退陣要求へと主張が変遷した。朝鮮日報、聯合ニュース、中央日報、民団など韓国国内外メディアからも一連の騒動は、韓国社会では大きな事件や事故が発生するとデマが幅を利かせ実証的な根拠に基づく事実や現実を軽んじられ、科学と理性は力を失い、妄想的な思い込みに陥った国民が突っ走ること、虚偽だと判明しても虚偽主張者らが潔く認めて謝罪しない例に用いられてる[1][2][3][4][5][6]。
「韓国人の大多数はBSEにかかりやすい」「米国産牛肉を食べると脳がスポンジになって即死する 」「親米韓国政府・韓国右派はアメリカの顔色をうかがっているために、BSE隠蔽して、米国産牛肉輸入継続している」などのデマが反李明博のネチズン・メディア・政党・市民団体・労組によって拡散されて、それに扇動された無党派の人々も相まって、韓国社会のデマの影響力の強さが示される大規模な扇動騒動となった。岩波書店によると政治色のない参加者の大半は、全教組所属教師らによって、「若年者ほどより高い」などのデマが広まっていたため、過半数が中高生で、中でも女子学生が多数いた。韓国政府は当初デマの拡散放置していたために、扇動されたデモ参加者が連日ソウル中心部を埋め尽くすほど激増し、最終的に2回も対国民謝罪を行う事態になった[8]。
2008年5月2日に初めて集会が開かれて、以後2か月間にわたる連日、数千人から数万人が参加した。6月10日にピークを迎え、7月以後も散発的に集会が続いた。最初のBSEデモを呼びかけたネット主宰者は、2007年の大統領選挙以前から現李明博大統領を批判しつづけてきた勢力であった[4]。初めの頃の参加者は中学生や高校生の占める割合が非常に高かったが、徐々に大学生や会社員など年齢層が多様になった。子供づれの家族や芸能人たちも多く参加するなど、一種の「文化祭」のような雰囲気を醸し出していた。とはいえ、6月に入ってからは韓国の警察と衝突するなど問題も起きるようになった。韓国左派による狂牛病デマによる反李明博運動の一環であった[3][9][10][11]。
経過
[編集]4月
[編集]4月29日 - MBCの番組PD手帳は『緊急取材!米国産牛肉、狂牛病から安全か』を放送。視聴者に「米国産牛肉を食べる韓国人は人間狂牛病にかかって悲惨な死を遂げる危険を受け入れるのと同じだ」と誤解させる歪曲・誇張報道を行う[12][7]。
5月
[編集]- 5月2日 - 「李明博弾劾のための汎国民運動本部」の主催の下、ソウル特別市鐘路区に位置する清渓広場一帯で初めて集会が開かれた。主催者側は警察に対して参加者は300人くらいと届け出たが、実際にはこれを大きく上回り1万人が集まった。
- 5月3日 - ソウルや各地方都市でも集会が開かれた。このころの集会は、既存の政治組織があまり介入しておらず、市民の生の意見が反映されている集会との評価を受けている。
- 5月4日 - 警察当局は、日没後のデモを禁止する法律[13] の適用を示唆し、大きな反発を買った。日没後は「文化祭」形式の蝋燭集会のみを認め、そこでシュプレヒコールを叫んだり、ピケを張ったりした場合は、違法行為として処罰するという警告を発した。
- 5月6日 - 前回の会場である清渓広場に3千名、永登浦区の汝矣島にある国会前に8千人が集まり蝋燭集会が開かれた。
- 5月7日 - 清渓広場で集会が開かれた。
- 5月9日 - 前回同様の集会が開かれた。
- 5月17日 - 清渓広場で参加者1万人以上の集会が開かれた。キム・ジャンフン、ユン・ドヒョン、李承桓などの歌手やキム・ブソンなどの芸能人も参加した。
- 5月24日 - 清渓広場での集会の後、デモ隊は遂に世宗路を占拠した。そして青瓦台に向かってデモ行進を強行し、光化門前で警察と衝突した。
- 5月25日 - 前日同様、清渓広場での集会の後、デモ行進を行い警察と衝突した。その後27日まで連日、集会とデモが行われた。この頃から批判の矛先が李明博政権自体に向けられるようになった。
- 5月29日 - ベビーカー部隊(ベビーカーに赤ちゃんを乗せたデモ隊)初登場。以後8月9日までの間に14回出動[11]。
- 5月31日 - ソウル特別市庁前広場で集会が開かれ、5万人以上が集まった。その後デモ行進に移った。ソウル地方警察庁は戦闘警察(機動隊に相当)を動員して翌日未明に強制解散させた。
- 5月にパリにある国際獣疫事務局のクライウル・ママガニ広報官広報官は「韓国のマスコミは1時間のインタビューをしてまた10秒間だけ放送するのではないのか」「PD手帳制作チームが米国産牛肉の安全性についていろいろ尋ねてきたので、韓国特派員らに話したことと同じく科学的な説明をした。 しかし放送されなかった」「公正でない報道だった」とPD手帳への批判の声を高めた。ママガニの批判を取材した中央日報はPD手帳は当初から報道の方向を決めておき、正確でない情報を利用して国民に恐怖を与えたという非難は免れなくなったとし、扇情的な恐怖心で李明博政府を批判したと指摘した。更にはPD手帳の意図に合わなくても、専門家の意見をそのまま報道すれば、非難は浴びなかったとし、「それが本当のメディアの姿勢だ」と糾弾した[14]。
6月
[編集]- 6月5日 - ソウル特別市庁前広場で6月8日までの72時間連続集会が開催された。一部の参加者はテントを張って徹夜デモを行った。6月6日は韓国の休日「顕忠日」であり、多くの人が集まった。主催者発表で20万人、警察発表5万6千人が集まった。また「大韓民国特殊任務遂行者戦友会」が同じ市庁前広場で「特殊任務戦死者合同慰霊祭」を開催したため、集会参加者との間でトラブルが起きた。
- 6月7日 - 深夜、一部のデモ隊は遂に暴徒化し、鉄パイプなどでバスを破壊したり、爆竹や可燃性スプレーに火をつけて警官隊に投げつけたりした。この過程でデモ隊・警察双方で負傷者がでた。
- 6月10日 - この日は韓国が民主化するきっかけとなった「6・10民主抗争」の日であった。そのため、21周年を祝う意味も兼ねて多くの人々が参集した。主催者側発表で50万人、警察発表でも10万人が集まった。警察では不測の事態に備えてコンテナでバリケードを築いた。参加者は「慶祝! 08年ソウルのランドマーク・明博山城」)と揶揄した。
- 6月24日 - PD手帳が4月29日に放送した「米国産牛肉、果たして牛海綿状脳症から安全なのか」における誤訳・歪曲論議と関連し、「明確に翻訳しなかったり意訳をしたりして誤解の余地を残したのは遺憾」という立場を明らかにした[15]。
- 6月30日 - この日より天主教正義具現全国司祭団は時局ミサを執り行った。そして最終日の7月6日に勝利宣言を行い、事実上終了した。
7月以降
[編集]7月以降のデモは、大規模な集会は行われなくなった。一部のデモ隊は「李明博政権の言論統制」に反対するために各放送局前で蝋燭デモを行った。
8月12日、虚偽報道のためにPD手帳は放送通信審議委員会から「視聴者謝罪命令」による謝罪放送を行った[7]。
9月9日午前2時頃、鐘路区の曹渓寺前の公園にいた反李明博派グループ3人は、「韓国産牛肉は米国産牛肉よりもっと危ない」と叫ぶ、付近に住む食堂経営者に刺身包丁で切り付けられ、重軽傷を負わされた。犯人は逃亡したが、まもなく警察に逮捕された。
騒動終結以後
[編集]2011年にはPD手帳は2008年の謝罪放送以後初めて事実に基づかない報道でデモを煽った過去の報道を「企画意図がいくら正当だといっても番組を支える核心争点が虚偽事実であれば、その番組は公正性と客観性はもちろん正当性も失うことになる」「2008年の米国産牛肉輸入交渉議論と狂牛病が全国民の主要関心事であった時に誤った情報を提供したことはどんな理由でも合理化することはできず、当時MBCの誤った情報が国民の正確な判断を曇らせ混乱と対立を引き起こしたという指摘も謙虚に受け止める」と謝罪した[7]。
関連項目
[編集]- 李明博
- BSE問題
- 扇動
- 政争
- 李京海:2003年に世界貿易機関による農産物の貿易自由化反対するために自殺した韓国の農民。
- PD手帳:MBCの番組。米国産牛肉の安全性について、BSE問題と関連付け誇張・捏造した内容を放送し、蝋燭デモの引き金になった[4]。
- 偏向報道
- 韓国進歩連帯、全国民主労働組合総連盟(民主労総)全教組:狂牛病騒擾、2009年の龍山事件、済州道海軍基地建設反対運動、セウォル号沈没事件糾弾運動などもデマの流布によって市民を駆り立て、主導した[10]。
出典
[編集]- ^ a b 【社説】厄介なうわさに振り回される韓国(朝鮮日報)2017年08月27日 「韓国では、大きな事件や事故が発生すると厄介なうわさが幅を利かせ、科学と理性は力を失ってしまう。狂牛病がはやった時、ある前長官は「米国にいる人間の狂牛病患者25万-65万人が認知症患者として隠蔽され、死亡した」と主張した。セウォル号の沈没事件の際は、あるテレビ局が「ダイビングベル」の装備を使用すれば海中で20時間連続で作業ができる」とでたらめの主張を展開。救助作業に混線をもたらした」「韓国の厄介なうわさの特徴は、それが虚偽だと判明しても、誰も潔く認めて謝罪しないという点だ。」
- ^ a b 최새일 (2010年9月27日). “「事件の裏にはデマ」、うわさ話に踊らされる韓国”. 聯合ニュース. 2021年5月8日閲覧。
- ^ a b c “【コラム】翻訳機が必要な親文陣営の言語=韓国(中央日報日本語版)”. Yahoo!ニュース. 2021年5月8日閲覧。 “李明博(イ・ミョンバク)政権当時のBSE(牛海綿状脳症)騒動を振り返ってみよう。当時、学界では米国産輸入牛肉を食べてBSEになる確率を10億分の1と推算した。ロト宝くじの当選確率(814万分の1)の1%程度だ。ゴルフでホールインワンをして帰ってくる途中に落雷に直撃する確率だった。しかし当時、民主党は「もしその当事者があなたやあなたの家族でもそういう話をするのか」と声を高めた。いま思うと、まさにネロナムブル(自分がやればロマンス、他人がやれば不倫というダブルスタンダード)だ。BSEの10億分の1は危険で、コロナワクチンの1000万分の1は大丈夫という論理が果たして国民に通用するだろうか。”
- ^ a b c d “余りに異様 狂牛病騒動”. www.mindan.org. 民団. 2021年5月8日閲覧。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL. “【追跡~ソウル発】デマ盲信の韓国社会 女子サッカー選手も「男」疑惑で受難”. 産経ニュース. 2021年5月8日閲覧。
- ^ a b “テイクオフ:「セウォル号沈没事故」… 韓国・社会・事件”. NNA.ASIA. 2021年5月8日閲覧。
- ^ a b c d “韓国の放送局、過去の狂牛病報道で謝罪「責任を痛感」”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2021年11月27日閲覧。
- ^ 世界 第 779~781 号 岩波書店 p 186
- ^ “代表的作家・黄晳暎氏の決別宣言”. www.mindan.org. 民団新聞. 2021年5月8日閲覧。
- ^ a b “〝従北史観〟一掃へ国民大運動こそ…韓国歴史教科書の国定化問題”. www.mindan.org. 2021年5月8日閲覧。 “デマの流布によって市民を駆り立てた狂牛病騒擾、翌09年の龍山事件(ソウル市龍山区漢江路の再開発に反対する住民が立てこもったビルで、住民のつくった火炎瓶が大量に持ち込まれていたシンナーに引火し、爆発、住民5人と警官1人が死亡)のほか、済州道海軍基地建設反対やセウォル号沈没事件糾弾なども主導した。”
- ^ a b 米国産牛肉:ベビーカー部隊めぐり与野党攻防 朝鮮日報 2008/10/10
- ^ “【社説】MBCは「PD手帳」懲戒して謝罪を”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2021年11月27日閲覧。
- ^ 当時(2010年6月30日まで)、「集会及び示威(デモ)に関する法律(集示法)」の規定により、日没後の集会は原則禁止とされていた。
- ^ “<取材日記>1時間のインタビューから30秒を選んで放送”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2021年11月27日閲覧。
- ^ “PD手帳「へたり牛をBSEと説明したのはミス」”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2021年11月27日閲覧。