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- 労農党(ろうのうとう)は、日本における無産政党、革新政党の名称。おおむね「労働農民党」か「労働者農民党」の略称であることが多い。 労働農民党 - 1926年に結党された、左派の合法無産政党。 労働者農民党 (1928) - 上記「労働農民党」結社禁止ののち、再建をめざすグループ(新党組織準備会)によ…1キロバイト (262 語) - 2024年1月23日 (火) 14:51
- 労農同盟(政獲同盟)に改組された。さらにこの間、旧労農党に参加していた水谷長三郎らの右派や鈴木茂三郎らの労農派(左派ではあったが「共同戦線党」論に基づき、中間派との合流および速やかな合法政党の結成を優先した)は新党準備会とは距離をとり、別党の形成に進んでいったため、旧労農党…8キロバイト (1,180 語) - 2023年3月30日 (木) 13:35
- 党を合同して日本大衆党へ発展し、1930年7月全国大衆党、1931年7月新労農党と合同して全国労農大衆党となった。 この党に結集した人々は旧日労系と称され、戦後の日本社会党の中間派の源流になったとされる。 三輪寿壮『総選挙を中心とする吾党活動要綱』日本労農党本部、1928年。 NDLJP:1437126…3キロバイト (449 語) - 2024年3月1日 (金) 14:38
- 党(第二次共産党)もまたこれを支援した。その一方、旧労農党に参加していた労農派はこの動きから離反し、山川均流の「共同戦線党」を掲げて7月には鈴木茂三郎を書記長とする独自の地方無産政党「無産大衆党」の結成に踏み切った。無産大衆党は、同年末麻生久・三輪寿壮ら(前期新人会…5キロバイト (900 語) - 2023年6月3日 (土) 08:28
- 労農大衆党(ろうのうたいしゅうとう)は、大日本帝国の政党。 1929年1月、労働農民党の委員長だった大山郁夫が社会主義運動の中道派との連合を歓迎しすぎたとして批判していた元労働農民党党員水谷長三郎によって結成された。労農大衆党の勢力はほぼ京都にしかおよばなかったが、1929年の統一無産政党戦線結成には参加した。…2キロバイト (212 語) - 2023年3月30日 (木) 09:36
- 全国労農大衆党(ぜんこくろうのうたいしゅうとう、旧字体:全󠄁國勞農大衆󠄁黨、略称は全労党)は、大日本帝国に昭和初期に存在した政党。無産政党が結集して1931年に結党されたが、1932年に他の政党と合同する形で消滅した。 1930年2月の第17回衆議院議員総選挙で社会民衆党、日本大衆党、労農党…5キロバイト (853 語) - 2023年12月17日 (日) 11:32