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| 人口の出典 = [[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
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| 人口の時点 = 1950年
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| 隣接自治体 = [[灘崎地域|灘崎町]]、玉野市、[[岡山市]]
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| 所在地 = 児島郡八浜町大字八浜
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2024年4月6日 (土) 22:53時点における最新版

はちはまちょう
八浜町
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 編入合併
八浜町 → 玉野市
現在の自治体 玉野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,875
国勢調査、1950年)
隣接自治体 灘崎町、玉野市、岡山市
八浜町役場
所在地 岡山県児島郡八浜町大字八浜
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八浜町(はちはまちょう[1])は、岡山県児島郡にあった。現在の玉野市の一部にあたる。

地理

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歴史

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  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、児島郡八浜村、波知村、見石村が合併して村制施行し、玉井村(たまいそん[3] / たまいむら[4])が発足[3][4]。旧村名を継承した八浜、波知、見石の3大字を編成[4]
  • 1898年(明治31年)1月1日、玉井村が八浜村に改称[1][2]
  • 1899年(明治32年)藤田組児島湾干拓事業が開始され、屋井床、樫木漁業、養貝業に影響が表れた[2]
  • 1901年(明治34年)2月6日、町制施行し八浜町となる[1][2]
  • 1902年(明治35年)岡山県水産試験場開設[2]
  • 1903年(明治36年)4月1日、児島郡秀天村大字大崎を編入[1][2]。4大字となる[2]
  • 1906年(明治39年)4月1日、田井村字彌次郎谷外21字を編入[1][2]
  • 1955年(昭和30年)2月1日、玉野市に編入され廃止[1][2]。編入後、玉井市八浜町八浜・八浜町波知・八浜町見石・八浜町大崎となる[2]

地名の由来

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波知の浜が変じて八浜となったものか[2]

産業

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  • 漁業、農業、果樹(ナシ)[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『市町村名変遷辞典』626頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』897頁。
  3. ^ a b 『市町村名変遷辞典』472頁。
  4. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』704頁。

参考文献

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関連項目

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