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2024年2月14日 (水) 22:49時点における版
加藤 タキ(かとう たき、1945年3月30日[1] - )は、日本のコーディネーター。難民を助ける会副理事長[2]。文化放送番組審議会の副委員長[3]。
本名は、黒川多喜子[4]。(株)タキ・オフィス代表取締役[1]。父は元国会議員の加藤勘十[4]、母は社会運動家で元国会議員の加藤シヅエ[4]、夫は建築家の黒川雅之[4]。義父は建築家の黒川巳喜、義兄は建築家の黒川紀章、義弟は建築家の黒川喜洋彦(くろかわきよひこ)。
経歴・人物
1945年に、東京都で生まれる[5]。父53歳、母48歳のときの子供で、両親ともに社会活動家で、再婚同士だった[6]。
小中高は森村学園で過ごす[7]。中学1年、3年次に母の会議についていくかたちで渡米し、ホームステイも経験。森村学園高等部を卒業後、一度は日本の大学に入学したが、英語を完全にマスターしようと決意し、アメリカのオレゴン州にあるポートランド大学へ留学し、卒業[5][6]。
帰国後、雑誌「ニューズウィーク」や「タイム・ライフ」の東京支局に2年間勤務し退職。モンキーズが初来日したときに通訳をつとめ、コーディネーターとして活躍するきっかけをつかみ、青山音楽事務所役員を経て1975年にコーディネーターとして独立[5]。
1990年代以降はテレビのコメンテーターや講演活動などをしている[5]。また、日本新党では広報委員長を務めた[8]。2002年、「21世紀を対話と和解の世紀にするために~一人ひとりが変化をもたらすイニシエーターとなろう~」というテーマで東京で開かれた日本道徳再武装のシンポジウムをコーディネートした[9]。
1971年テレビCMのコーディネート以来、オードリー・ヘプバーンとの交流があった[10][6]。また、文化放送番組審議会の委員を務めている[11]。
20代で音楽事務所の社長と結婚するも離婚。37歳のときに再婚し42歳で長男を出産[12][6]。
出演
テレビ番組
- ショップチャンネル(加藤タキがおすすめする商品が販売されるときに商品アドバイザー役として出演)
- THEワイド(日本テレビ、コメンテーター)
- ウェークアップ!ぷらす(読売テレビ、コメンテーター)
- バイキング(フジテレビ、コメンテーター)
ラジオ
- 加藤タキのナイトナイトジョッキー(TBSラジオ ディスクジョッキー)
- パンプキン・パンプキン(文化放送)
CM
作品
著作
- 「タキの納得人生」(1981年、文化出版局)
- 「愛・仕事・子育て すべてが生活」加藤シヅエと共著(1989年、大和書房)
- 「働く女性のハイセンス・マナー」(1989年、大和書房)
- 「もっと素敵な自分になる本」(1994年、大和書房)
- 「33歳」(1995年、ゲイン出版)
- 「10歳の輝き、100歳の青春」福原義春と共著(1996年、求龍堂)
- 「おとなの女になるための55章」(1996年、大和書房)
- 「四十歳からをどう愉しんで生きるか」(1997年、海竜社)
- 「加藤タキ タキの納得人生」(2000年、日本図書センター)
- 「加藤シヅエ104歳の人生」加藤シヅエと共著(2002年、大和書房)
- 「加藤シヅエ凛として生きる」加藤シヅエと共著(2002年、大和書房)
- 「素敵な女性になる!」(2005年、大和書房)
- 「50歳からの自分磨き―美しく年齢を重ねる40のレッスン」(2010年、大和書房)
翻訳
- シーラ・ヘイリー「私はベストセラーと結婚した」(1981年10月、サンケイ出版)。著書はアーサー・ヘイリー夫人
- ヘレン・ホッパー「加藤シヅエ 百年を生きる」(1997年3月、文春ネスコ)
- キム・ゴード「あなたの毎日をキラリと輝かせる155の方法」(1999年、大和書房)
脚注
- ^ a b 熱中世代 大人のランキング 2013年10月14日放送 BS朝日
- ^ 組織概要
- ^ 第409回 文化放送番組審議会 平成26年 7月18日
- ^ a b c d 知事対談 新たな男女のパートナーシップに向けて 島根県
- ^ a b c d 愛と勇気と感動と ロータリー文庫通信 257号 2008年
- ^ a b c d “Ms Wendy|分譲マンションと生活に関する情報 Wendy-Net 311号 注目の人 コーディネーター/加藤 タキさん”. www.wendy-net.com. 2021年11月4日閲覧。
- ^ “人間の記録125 加藤タキ | 日本図書センター”. www.nihontosho.co.jp. 2020年12月18日閲覧。
- ^ Company, The Asahi Shimbun. “「女が政治?とんでもない」から転換めざし25年 - 円より子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 論座(RONZA). 2020年12月18日閲覧。
- ^ 国際IC日本協会 ICの歴史(詳細)
- ^ 1972年とされることもあるが、実際の撮影は1971年5月で、1971年発行の雑誌「スクリーン」各号、「週刊文春」1971年7月12日号、「non・no」1971年7月20日号などですでに紹介されている。TVCM自体は1971年〜1972年にかけて放送された。
- ^ 文化放送 番組審議会 第394回文化放送番組審議会 2013年1月22日
- ^ “加藤 タキからのメッセージ NPO法人 ひまわりの会”. www.npohimawari.or.jp. 2020年12月18日閲覧。