コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「加藤タキ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{存命人物の出典明記|date=2012年12月4日 (火) 11:29 (UTC)}}
{{存命人物の出典明記|date=2012年12月4日 (火) 11:29 (UTC)}}
'''加藤 タキ'''(かとう たき、[[1945年]][[3月30日]]<ref name=bs>[https://archives.bs-asahi.co.jp/sedai/prg_001.html 熱中世代 大人のランキング 2013年10月14日放送] [[ビーエス朝日|BS朝日]]</ref> - )は、[[日本]]のコーディネーター。[[難民を助ける会]]副理事長<ref>[http://www.aarjapan.gr.jp/about/organization.html 組織概要]</ref>。[[文化放送]]番組審議会の副委員長<ref>[http://www.joqr.co.jp/annai/banshin/council_409.html 第409回 文化放送番組審議会] 平成26年 7月18日</ref>。
'''加藤 タキ'''(かとう たき、[[1945年]][[3月30日]]<ref name=bs>[https://archives.bs-asahi.co.jp/sedai/prg_001.html 熱中世代 大人のランキング 2013年10月14日放送] [[BS朝日]]</ref> - )は、[[日本]]のコーディネーター。[[難民を助ける会]]副理事長<ref>[http://www.aarjapan.gr.jp/about/organization.html 組織概要]</ref>。[[文化放送]]番組審議会の副委員長<ref>[http://www.joqr.co.jp/annai/banshin/council_409.html 第409回 文化放送番組審議会] 平成26年 7月18日</ref>。


本名は、黒川多喜子<ref name=shimane>[http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/kochokoho/esque/34/menu01.html 知事対談 新たな男女のパートナーシップに向けて ] [[島根県]]</ref>。(株)タキ・オフィス[[代表取締役]]<ref name=bs/>。父は元[[国会議員]]の[[加藤勘十]]<ref name=shimane/>、母は社会運動家で元国会議員の[[加藤シヅエ]]<ref name=shimane/>、夫は建築家の[[黒川雅之]]<ref name=shimane/>。義父は建築家の黒川巳喜、義兄は建築家の[[黒川紀章]]、義弟は建築家の[[黒川喜洋彦]](くろかわきよひこ)。
本名は、黒川多喜子<ref name=shimane>[http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/kochokoho/esque/34/menu01.html 知事対談 新たな男女のパートナーシップに向けて ] [[島根県]]</ref>。(株)タキ・オフィス[[代表取締役]]<ref name=bs/>。父は元[[国会議員]]の[[加藤勘十]]<ref name=shimane/>、母は社会運動家で元国会議員の[[加藤シヅエ]]<ref name=shimane/>、夫は建築家の[[黒川雅之]]<ref name=shimane/>。義父は建築家の黒川巳喜、義兄は建築家の[[黒川紀章]]、義弟は建築家の[[黒川喜洋彦]](くろかわきよひこ)。

2024年2月14日 (水) 22:49時点における版

加藤 タキ(かとう たき、1945年3月30日[1] - )は、日本のコーディネーター。難民を助ける会副理事長[2]文化放送番組審議会の副委員長[3]

本名は、黒川多喜子[4]。(株)タキ・オフィス代表取締役[1]。父は元国会議員加藤勘十[4]、母は社会運動家で元国会議員の加藤シヅエ[4]、夫は建築家の黒川雅之[4]。義父は建築家の黒川巳喜、義兄は建築家の黒川紀章、義弟は建築家の黒川喜洋彦(くろかわきよひこ)。

経歴・人物

1945年に、東京都で生まれる[5]。父53歳、母48歳のときの子供で、両親ともに社会活動家で、再婚同士だった[6]

小中高は森村学園で過ごす[7]。中学1年、3年次に母の会議についていくかたちで渡米し、ホームステイも経験。森村学園高等部を卒業後、一度は日本の大学に入学したが、英語を完全にマスターしようと決意し、アメリカオレゴン州にあるポートランド大学へ留学し、卒業[5][6]

帰国後、雑誌ニューズウィーク」や「タイム・ライフ」の東京支局に2年間勤務し退職。モンキーズが初来日したときに通訳をつとめ、コーディネーターとして活躍するきっかけをつかみ、青山音楽事務所役員を経て1975年コーディネーターとして独立[5]

1990年代以降はテレビコメンテーターや講演活動などをしている[5]。また、日本新党では広報委員長を務めた[8]。2002年、「21世紀を対話と和解の世紀にするために~一人ひとりが変化をもたらすイニシエーターとなろう~」というテーマで東京で開かれた日本道徳再武装のシンポジウムをコーディネートした[9]

1971年テレビCMのコーディネート以来、オードリー・ヘプバーンとの交流があった[10][6]。また、文化放送番組審議会の委員を務めている[11]

20代で音楽事務所の社長と結婚するも離婚。37歳のときに再婚し42歳で長男を出産[12][6]

出演

テレビ番組

ラジオ

CM

作品

著作

  • 「タキの納得人生」(1981年文化出版局
  • 「愛・仕事・子育て すべてが生活」加藤シヅエと共著(1989年大和書房
  • 「働く女性のハイセンス・マナー」(1989年、大和書房)
  • 「もっと素敵な自分になる本」(1994年、大和書房)
  • 「33歳」(1995年ゲイン出版
  • 「10歳の輝き、100歳の青春」福原義春と共著(1996年求龍堂
  • 「おとなの女になるための55章」(1996年、大和書房)
  • 「四十歳からをどう愉しんで生きるか」(1997年海竜社
  • 「加藤タキ タキの納得人生」(2000年、日本図書センター)
  • 「加藤シヅエ104歳の人生」加藤シヅエと共著(2002年、大和書房)
  • 「加藤シヅエ凛として生きる」加藤シヅエと共著(2002年、大和書房)
  • 「素敵な女性になる!」(2005年、大和書房)
  • 「50歳からの自分磨き―美しく年齢を重ねる40のレッスン」(2010年、大和書房)

翻訳

  • シーラ・ヘイリー「私はベストセラーと結婚した」(1981年10月、サンケイ出版)。著書はアーサー・ヘイリー夫人
  • ヘレン・ホッパー「加藤シヅエ 百年を生きる」(1997年3月、文春ネスコ)
  • キム・ゴード「あなたの毎日をキラリと輝かせる155の方法」(1999年、大和書房)

脚注

  1. ^ a b 熱中世代 大人のランキング 2013年10月14日放送 BS朝日
  2. ^ 組織概要
  3. ^ 第409回 文化放送番組審議会 平成26年 7月18日
  4. ^ a b c d 知事対談 新たな男女のパートナーシップに向けて 島根県
  5. ^ a b c d 愛と勇気と感動と ロータリー文庫通信 257号 2008年
  6. ^ a b c d Ms Wendy|分譲マンションと生活に関する情報 Wendy-Net 311号 注目の人 コーディネーター/加藤 タキさん”. www.wendy-net.com. 2021年11月4日閲覧。
  7. ^ 人間の記録125 加藤タキ | 日本図書センター”. www.nihontosho.co.jp. 2020年12月18日閲覧。
  8. ^ Company, The Asahi Shimbun. “「女が政治?とんでもない」から転換めざし25年 - 円より子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 論座(RONZA). 2020年12月18日閲覧。
  9. ^ 国際IC日本協会 ICの歴史(詳細)
  10. ^ 1972年とされることもあるが、実際の撮影は1971年5月で、1971年発行の雑誌「スクリーン」各号、「週刊文春」1971年7月12日号、「non・no」1971年7月20日号などですでに紹介されている。TVCM自体は1971年〜1972年にかけて放送された。
  11. ^ 文化放送 番組審議会 第394回文化放送番組審議会 2013年1月22日
  12. ^ 加藤 タキからのメッセージ NPO法人 ひまわりの会”. www.npohimawari.or.jp. 2020年12月18日閲覧。