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'''三原聖ペテロ・聖パウロ教会'''の歴史は、1955年におもにアメリカ軍兵士と家族の英語会衆用に木造家屋から始まり<ref>[https://church-info.jp/search/detail.php?key=011410300 三原聖ペテロ・聖パウロ教会 = 三原教会(クリスチャン情報ブックWeb)]</ref>、何回かの改修を経て、1972年沖縄教区の日本製公会復帰とともに沖縄教区主教座聖堂となった。現在の教会堂は老朽化が顕著になった1997年からおもに日本語会衆により改修計画が進み、2011年に鉄筋コンクリート作りで再建された。新会堂は外見が赤瓦屋根と白壁の沖縄風で、内部は[[祭壇|オルター]]、ステンドグラス、パイプオルガンなどがあり、聖公会聖堂風になっている。<ref> |
'''三原聖ペテロ・聖パウロ教会'''の歴史は、1955年におもにアメリカ軍兵士と家族の英語会衆用に木造家屋から始まり<ref>[https://church-info.jp/search/detail.php?key=011410300 三原聖ペテロ・聖パウロ教会 = 三原教会(クリスチャン情報ブックWeb)]</ref>、何回かの改修を経て、1972年沖縄教区の日本製公会復帰とともに沖縄教区主教座聖堂となった。現在の教会堂は老朽化が顕著になった1997年からおもに日本語会衆により改修計画が進み、2011年に鉄筋コンクリート作りで再建された。新会堂は外見が赤瓦屋根と白壁の沖縄風で、内部は[[祭壇|オルター]]、ステンドグラス、パイプオルガンなどがあり、聖公会聖堂風になっている。<ref>[http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/item4/8057 平川家資料:三原聖ペテロ聖パウロ教会 関連(沖縄歴史博物館)]</ref>。 |
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三原聖ペテロ・聖パウロ教会の住所は那覇市三原2-23-1で、牧師は(イサク)岩佐直人[[司祭]]、沖縄教区は(ダビデ)上原栄正[[主教]]である。 |
三原聖ペテロ・聖パウロ教会の住所は那覇市三原2-23-1で、牧師は(イサク)岩佐直人[[司祭]]、沖縄教区は(ダビデ)上原栄正[[主教]]である。 |
2024年1月29日 (月) 00:05時点における版
三原聖ペテロ・聖パウロ教会(みはらせいペテロせいパウロきょうかい)は沖縄県那覇市三原にあるキリスト教教会で、日本聖公会沖縄教区の主教座聖堂である。
沖縄教区
1846年イギリスの民間伝道団体の琉球伝道団から、ベッテルハイム医師・宣教師が那覇に来て迫害の中で8年間伝道し、その間に琉球方言聖書や他の書物を書き残している。また、1927年には青木恵哉師が熊本から来島しハンセン病に苦しんでいた人々のため支援活動をして、後の国立療養所沖縄愛楽園設立のきっかけとなった。[1]
太平洋戦争・沖縄戦の困難な時期を経て、1951年に米国聖公会から2人の宣教師が来て、広く伝道が始まり、那覇市三原に聖ペテロ・聖パウロ教会や牧港に英語会衆のための教会などを建てられた。沖縄の日本復帰にともない、1972年1月1日に米国聖公会第8管区(Province VIII)沖縄伝道教区から日本聖公会沖縄教区と所属替えが行われた。
聖ペテロ聖パウロ教会
三原聖ペテロ・聖パウロ教会の歴史は、1955年におもにアメリカ軍兵士と家族の英語会衆用に木造家屋から始まり[2]、何回かの改修を経て、1972年沖縄教区の日本製公会復帰とともに沖縄教区主教座聖堂となった。現在の教会堂は老朽化が顕著になった1997年からおもに日本語会衆により改修計画が進み、2011年に鉄筋コンクリート作りで再建された。新会堂は外見が赤瓦屋根と白壁の沖縄風で、内部はオルター、ステンドグラス、パイプオルガンなどがあり、聖公会聖堂風になっている。[3]。
三原聖ペテロ・聖パウロ教会の住所は那覇市三原2-23-1で、牧師は(イサク)岩佐直人司祭、沖縄教区は(ダビデ)上原栄正主教である。 [4]
教会の関連施設として、ナザレ幼稚園がある。[5]