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[[大谷大学]]在学中、[[はしだのりひことシューベルツ]]の弟分のグループとして、[[京都産業大学]]在学中の[[坂庭省悟]]、立命館大学在学中の箕岡修と「[[マヨネーズ (音楽グループ)|マヨネーズ]]」を結成。命名ははしだのりひこによる。当時は、中島要次として活動していた。 |
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[[1969年]]8月の第4回[[フォークキャンプ]]に参加。京都市の「円山公園野外音楽堂」での打ち上げコンサートで、岩井宏らと「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」、「いなかへ行こう」、「砂にまみれて」、「綿つみの唄」を演奏<ref>「1969京都[[フォークキャンプ]]」([[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]、1998年6月)楽曲リスト、「第4回フォーク・キャンプ・コンサート」([[エイベックス |
[[1969年]]8月の第4回[[フォークキャンプ]]に参加。京都市の「円山公園野外音楽堂」での打ち上げコンサートで、岩井宏らと「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」、「いなかへ行こう」、「砂にまみれて」、「綿つみの唄」を演奏<ref>「1969京都[[フォークキャンプ]]」([[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]、1998年6月)楽曲リスト、「第4回フォーク・キャンプ・コンサート」([[エイベックス|avex io]]、2003年10月)楽曲リストによる。</ref>。これらの音源を収録した「第4回フォーク・キャンプコンサート」が[[アングラ・レコード・クラブ|URC]]から、[[1969年]]に発売された。 |
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[[1970年]]3月、[[北山修]]作詞、中嶋作曲の「男の子だから」をA面とするシングル「男の子だから/いなかへ行こう」をリリース。同年、坂庭省悟とともに「[[はしだのりひこ#はしだのりひことクライマックス|はしだのりひこ&クライマックス]]」に参加。 |
[[1970年]]3月、[[北山修]]作詞、中嶋作曲の「男の子だから」をA面とするシングル「男の子だから/いなかへ行こう」をリリース。同年、坂庭省悟とともに「[[はしだのりひこ#はしだのりひことクライマックス|はしだのりひこ&クライマックス]]」に参加。 |
2023年9月12日 (火) 05:10時点における版
中嶋陽二 | |
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出生名 | 中嶋要次 |
生誕 | 1951年2月25日(73歳) |
出身地 | 日本 京都府京都市 |
学歴 | 大谷大学東洋史学 |
ジャンル | フォークソング |
職業 | 作詞家・作曲家・ベーシスト |
担当楽器 | ベース・ギター |
レーベル | 東芝レコード |
共同作業者 |
中嶋 陽二(なかじま ようじ、1951年2月25日- )は作詞家・作曲家。関西フォークの隆盛期に活躍したマヨネーズ、1971年に大ヒットした『花嫁』のはしだのりひことクライマックスとしてNHK紅白歌合戦に出場するなどして活動した。
経歴
大谷大学在学中、はしだのりひことシューベルツの弟分のグループとして、京都産業大学在学中の坂庭省悟、立命館大学在学中の箕岡修と「マヨネーズ」を結成。命名ははしだのりひこによる。当時は、中島要次として活動していた。
1969年8月の第4回フォークキャンプに参加。京都市の「円山公園野外音楽堂」での打ち上げコンサートで、岩井宏らと「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」、「いなかへ行こう」、「砂にまみれて」、「綿つみの唄」を演奏[1]。これらの音源を収録した「第4回フォーク・キャンプコンサート」がURCから、1969年に発売された。
1970年3月、北山修作詞、中嶋作曲の「男の子だから」をA面とするシングル「男の子だから/いなかへ行こう」をリリース。同年、坂庭省悟とともに「はしだのりひこ&クライマックス」に参加。
マヨネーズ、はしだのりひこ&クライマックスを通じて、作詞・作曲で活躍。「青空をつかまえよう」と「忘れられないの」で北山修と組み、「愛のポエム」で落合恵子、「この胸に」で安井かずみに、はしだのりひこと共同で曲をつけている。また、白井道夫と共同で作詞し、単独で作曲した「砂にまみれて」は佐渡山豊がカバーしてCD『空っぽな空から』に収録している。
1970年代には『butter&eggmen concert 』を主催、若手を発掘。
2001年10月6日、NFD(なつかしのフォークソング同窓会)[2]にかつてのマヨネーズのメンバー坂庭、箕岡とともに出演し、演奏。坂庭省悟没後1周年の2004年12月15日に開かれたなつかしのフォークソング同窓会では、飛び入りで箕岡と「いなかへ行こう」を歌う。
脚注
出典