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ゲームソフト開発の株式会社[[ジャレコ]]で宣伝・広報を担当し、“菊地名人”としてテレビや雑誌などの各種メディアで活躍した。その後は、ゲームメーカーの株式会社[[ |
ゲームソフト開発の株式会社[[ジャレコ]]で宣伝・広報を担当し、“菊地名人”としてテレビや雑誌などの各種メディアで活躍した。その後は、ゲームメーカーの株式会社[[セガ]]で宣伝担当、国内初の無料総合ゲーム紙「[[GAMEゆーゆー]]」(現:[[ジャパニメイト]])の営業を経て、株式会社リレーションズ代表取締役。<ref>シティ・コネクション 『ジャレコ・アーカイブズ』 p42</ref> |
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== 来歴 == |
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2023年8月2日 (水) 22:53時点における最新版
菊地 博人(きくち ひろと、1962年12月4日 - )は、日本のフリープロデューサー。 ゲームソフト開発の株式会社ジャレコで宣伝・広報を担当し、“菊地名人”としてテレビや雑誌などの各種メディアで活躍した。その後は、ゲームメーカーの株式会社セガで宣伝担当、国内初の無料総合ゲーム紙「GAMEゆーゆー」(現:ジャパニメイト)の営業を経て、株式会社リレーションズ代表取締役。[1]
来歴
[編集]1962年12月、東京に生まれる。東海大学政治経済学部経営学科を卒業後、株式会社ジャレコに入社し、家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ用ソフトの宣伝業務を担当。アーガスをきっかけに、TV番組「ファミっ子大集合」やゲーム雑誌に、“菊地名人”として数多く登場する。
退社後、映画配給会社の株式会社ギャガ・コミュニケーションズ(現・ギャガ株式会社)に入社、パブリシティ、ビデオプロモーション業務担当後、株式会社セガ・エンタープライゼス(現:株式会社セガゲームス)に入社、セガサターン、ドリームキャスト用ゲームソフトの宣伝を手掛ける。
主な担当タイトルは、「ナイツ」「サクラ大戦」(共にセガサターン)、「ソニックアドベンチャー」(ドリームキャスト)があり、同ゲームのエンドロールにその名がクレジットされている。その後、国内初の家庭用ゲームソフト専門のフリーペーパー「GAMEゆーゆー」(現:ジャパニメイト)のプランニングマネージャーとして、有限会社好日館に参画。多くのゲーム会社とのリレーション構築に携わる。
作品
[編集]宣伝およびパブリシティ業務
出演番組
[編集]- 「ファミっ子大集合」(1988年 - 1990年、テレビ東京系列)
参考文献
[編集]- 「Special Interview 菊地博人(元・株式会社ジャレコ 宣伝担当)」 『THEゲームメーカー・ジャレコ編』 2010年1月29日 Happinet 付属冊子
- シティ・コネクション 『ジャレコ・アーカイブズ』 2016年11月30日 ISBN 978-4-408-11203-9 p42
脚注
[編集]- ^ シティ・コネクション 『ジャレコ・アーカイブズ』 p42
外部リンク
[編集]- ジャパニメイト
- 菊地博人 (@hiroto_kiku1962) - X(旧Twitter)