「狭間善徳」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
YukkuriYaguchi (会話 | 投稿記録) 明徳義塾の馬淵史郎監督との師弟関係に関する記述、第101回選手権での「師弟対決」熱望に関する記述を追加しました。 |
m Bot作業依頼: 山﨑伊織のリンク修正 - log |
||
47行目: | 47行目: | ||
=== 明石商業高 === |
=== 明石商業高 === |
||
* [[松本航]] |
* [[松本航]] |
||
* [[山 |
* [[山﨑伊織]] |
||
* [[水上桂]] |
* [[水上桂]] |
||
* [[中森俊介]] |
* [[中森俊介]] |
2023年4月28日 (金) 13:46時点における版
明石市立明石商業高等学校硬式野球部 監督 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県明石市(出生は熊本県) |
生年月日 | 1964年5月12日(60歳) |
選手情報 | |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
| |
この表について
|
狭間 善徳(はざま よしのり、1964年5月12日 - )は、兵庫県明石市出身(熊本県生まれ)の日本の高校野球指導者[1]。
経歴
明石市立花園小学校時代に長嶋茂雄に憧れ、野球を始める。その後は明石市立望海中学校に進学。
17歳の頃に高校野球の指導者を志したという[1]。
明石南高校、日本体育大学では内野手として、プレー[1]。大学時代には保健体育科の教員免許も取得している。
日体大卒業後の3年間は一般企業にてサラリーマンとして勤務[1]。
その後は1988年に明石南高校、1989年に高砂南高校で講師や野球部のコーチを務める[1]。
1993年からは明徳義塾中学校・高等学校のコーチや監督に就任する[1]。中学校軟式野球部の指導者として、軟式野球の全国大会で4度優勝している[1]。明徳義塾のコーチ当時から同校硬式野球部の監督であった馬淵史郎を恩師と仰いでいる[2]。
2006年からは明石商業高校のコーチ、翌年8月からは監督に就任[1]。赴任当初の明石商業高校は弱小チームであり、何も揃っていなかったが、その後の狭間の指導で、甲子園には春3度、夏に2度出場し、兵庫県のみならず全国有数の強豪に育て上げている[1]。2019年の第101回全国高等学校野球選手権大会では、公立校としては1983年の池田高校[3]以来となる春夏連続ベスト4入りを果たしている[1]。同大会では、自らの率いる明石商業と、馬淵監督の率いる明徳義塾が揃って甲子園に出場し「師弟対決」の可能性が浮上した。狭間自身は「師弟対決」を熱望した[4]が、2回戦で明徳義塾が智辯和歌山に敗れ、「師弟対決」実現はならなかった。
著名な教え子
明徳義塾中
明石商業高
脚注
- ^ a b c d e f g h i j “明石商の狭間善徳監督、気遣いながら褒めない「人によって気持ちの限界は違う。それを見極めるのが指導者」選手との信頼関係は最も重要”. スポーツ報知. (2020年5月28日) 2022年1月11日閲覧。
- ^ “明石商・狭間監督 明徳とやりたい!馬淵監督と師弟対決熱望/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2023年1月29日閲覧。
- ^ “昭和~平成を彩った公立校 池田高校 明らかに昭和の高校野球で一時代を形成した“やまびこ打線”の破壊力”. 高校野球ドットコム. 2023年1月29日閲覧。
- ^ “明石商・狭間監督 明徳とやりたい!馬淵監督と師弟対決熱望/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2023年1月29日閲覧。