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'''万年丸'''<!--読みを追加するときは出典を付けてください-->は[[薩摩藩]]および[[広島藩]]が[[幕末]]に保有した[[日本]]の[[蒸気船]]。
'''万年丸'''<!--読みを追加するときは出典を付けてください-->は[[薩摩藩]]および[[広島藩]]が[[幕末]]に保有した[[日本]]の[[蒸気船]]。


[[1864年]]にイギリスで建造された鉄製蒸気スクリュー船で、[[1865年]]に薩摩藩が購入した{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。原名は「Kim Lin」で、代価は10万ドルであった{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。[[慶応]]2年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]([[1866年]][[7月22日]])、広島藩が薩摩藩より金5万両で購入した{{Sfn|坂本卓也|2022|p=41}}}。
[[1864年]]にイギリスで建造された鉄製蒸気スクリュー船で、[[1865年]]に薩摩藩が購入した{{Sfn|杉山伸也|1985|p=431}}。原名は「Kim Lin」で、代価は10万ドルであった{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。[[慶応]]2年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]([[1866年]][[7月22日]])、広島藩が薩摩藩より金5万両で購入した{{Sfn|坂本卓也|2022|p=41}}}。


「万年丸」はトン数270トンで機関は80馬力であった{{Sfn|坂本卓也|2022|p=41}}{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。大砲は4門{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。
「万年丸」はトン数270トンで機関は80馬力であった{{Sfn|坂本卓也|2022|p=41}}{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。大砲は4門{{Sfn|杉山伸也|1985|p=9}}。

2023年4月25日 (火) 15:59時点における版

万年丸薩摩藩および広島藩幕末に保有した日本蒸気船

1864年にイギリスで建造された鉄製蒸気スクリュー船で、1865年に薩摩藩が購入した[1]。原名は「Kim Lin」で、代価は10万ドルであった[2]慶応2年6月11日1866年7月22日)、広島藩が薩摩藩より金5万両で購入した[3]}。

「万年丸」はトン数270トンで機関は80馬力であった[3][2]。大砲は4門[2]

慶応2年11月上旬(1866年11月 - 12月)、洋学修得のため江戸へ派遣される者50名ほどを運んだ[4]

慶応3年10月中旬(1867年11月)、「万年丸」は京都警備のため派遣される応変隊の乗る「八幡丸」を宇品から大坂へ曳航した[4]。次いで、討幕の密勅を携えた大久保利通らを大坂から三田尻まで運んだ[5]。11月下旬(1867年12月)には発機隊を宇品から大坂へ運んだ[6]

戊辰戦争時は輸送任務に従事した[5]

脚注

  1. ^ 杉山伸也 1985, p. 431.
  2. ^ a b c 杉山伸也 1985, p. 9.
  3. ^ a b 坂本卓也 2022, p. 41.
  4. ^ a b 坂本卓也 2022, p. 47.
  5. ^ a b 坂本卓也 2022, p. 48.
  6. ^ 坂本卓也 2022, p. 49.

参考文献

  • 坂本卓也『幕末維新期大名家における蒸気船の導入と運用』佛教大学〈佛教大学研究叢書〉、2022年4月20日。ISBN 978-4-7924-1499-3 
  • 杉山伸也 著「グラバー商会」、藤野保 編『九州と外交・貿易・キリシタン II』国書刊行会〈九州近世史研究叢書〉、1985年2月1日、401-540頁。